映画「めまい」



ヒッチコックの「めまい」は映画史のなかでも一、二を争う名作という評判。上はソウル・バスによる「うずまき」デザインのオープニング。これは「めまい」を表現しているのだが、劇中に登場するヒロインのアップにした髪型が「うずまき」状になっていたりとディテールにこだわっている。


【あらすじ】
ジェームズ・スチュアート演じる主人公スコティは高所恐怖症である(それがタイトル「めまい」の由来)。ある日、旧友から「私の妻が先祖の霊に取り憑かれている。毎日どこに行っているのか突き止めてほしい」という電波な依頼をされる。

スコティは旧友の妻マデリン(キム・ノヴァク)を尾行するうちに彼女の不可解な行動を目の当たりにし「ほんとに霊に取り憑かれているのかも」とおもう。

そしてスコティはマデリンと接触。二人は恋に落ちる。しかし錯乱したマデリンはスコティの目の前で教会の塔から投身自殺してしまう。スコティは高所恐怖症のためマデリンの自殺を阻止することができなかった。スコティは自責の念にかられ精神病になってしまう。

一年後、街中でマデリンそっくりのジュディに出会う。しかし実はそれはマデリン自身だった。

つまり、スコティの旧友は自分の妻の殺人を隠すため、ジュディを雇い、スコティにはジュディを妻だと思わせて偽の投身自殺の証人に仕立たのだった(高所恐怖症のスコティには投身自殺を防げないという計算もある。実際に塔から落ちたのはすでに死んでいた旧友の本当の妻)。

本当にスコティを愛していたジュディは彼をだましていたことに苦しむ。そして過去を捨て「ジュディ」としてスコティの愛を得ようと決心する。

しかし、スコティはジュディをマデリンに近づけようとする。マデリンと同じ服と靴を与え髪の毛の色も変えさせる。その様はまさに病的。ジュディは傷つきながらもスコティの要求に応える。

あるキッカケでジュディはマデリンであり自分がだまされていたことに気づいたスコティはジュディを教会の塔につれていき問い詰める。ジュディも真実を告白する。そして二人が愛を確かめ合ったのも束の間、突然あらわれた影に恐怖したジュディはあやまって塔から落ちてしまう。その影はただの修道女だった。スコティは絶望した表情で塔の下を見下ろすのだった。


と、こんな感じ。

この映画は前半と後半がちょうど一時間で分かれるのだが、そこで物語がガラッと転換する。前半が憑依モノを装ったサスペンス。後半は切ないラブストーリー。主人公も後半はジュディになる。

しかし、また違う解釈もあるそうで、後半はすべて病んだスコティの「頭のなかでの出来事」という解釈もあるそうだ! これはすげー。

前半と後半が転換する場面で、スコティが悪夢にうなされ、次のシーンでは精神病棟で自分の殻に閉じこもった状態になっている、という描写がある。この場面でスコティは一番親しい女友達のミッジがちかくにいるのにそれを認識することができない。

ミッジは悲しげに言う。「わたしがここにいるのもわからないのね」と。

そして次の場面で唐突に屋外のシーンとなりスコティはジュディと出会うのだ。不自然である。だって直前のシーンまで廃人のようだったスコティが普通に外を歩いているのだから。それについてなんの説明もない(そういえば導入部のスコティが高所恐怖症にいなるキッカケの事件で、スコティがどうやって助かったのかの説明もない。まさかここまでがリアルであとは全部もウソって解釈!?)。

後半では、前半で重要な役で登場していた女友達のミッジが後半ではまったく登場しなくなる。つまり後半からスコティの「頭のなか」だという解釈だと、「わたしがここにいるのもわからないのね」といったミッジ自身の言葉のとおり、スコティの「頭のなかの世界」ではミッジは存在しない。だから後半にミッジが登場しないのだ、という論理になる。

こりゃすげー。

愛するマデリンを失ったスコティはその苦痛に耐えられず自分のなかの世界に閉じこもり、その世界でマデリンは死んでいないことにする。つまりサスペンスだったと。しかし結局、「頭のなかの世界」でも彼女を失ってしまう。もし、「頭のなか」解釈が正しいとすると、スコティはこの後「ジュディに出会い~失う」というループ世界に生きていくことになるのだろう。おそろしい。

たしかに「頭のなか」解釈だとシックリくることもあるが、「そのまま」の解釈もできる。つまり、すべては現実、という解釈。それはそれで残酷だが……。

「すべてがリアル」解釈だとこの映画の構成は……
【前半】すべてはウソ。結局スコティは利用されてた。
【後半】ジュディがスコティの愛を獲得しようとするもジュディの事故死でバッドエンド。
と、なる。これが「頭のなか」解釈だと……
【前半】霊に取り憑かれた(またはそう思い込んでる)マデリンが錯乱して死亡。
【後半】現実を受け入れられないスコティの妄想。そしてループ。
という風になる。

ヒッチコックは意識的にどちらにも解釈できるような話にしたのだろうか? それならば彼はやはり天才である。

で、まったく個人的なことだが、ヒッチコックと黒沢明の映画には共通した感触を感じる。一体それはなぜだろうか? 自己分析すると、両者とも「映画的」だからだろうとおもう。ヒッチコックも黒沢明も現在の「映画的カタルシス」の基盤を築いた人だからだろう。

saturdayseptember282013

THE TEXAS CHAINSAW MASSACRE



めちゃめちゃクールだった! さすがニューヨーク近代美術館にマスターフィルムが永久保存されてることはある!

なにより映像がめっちゃカッコいい! 編集の仕方やカメラアングルがめっちゃカッコいい! 映像と音をコラージュしたような演出がカッコいい! 原題(THE TEXAS CHAINSAW MASSACRE)がカッコいい! そして主人公のサリーがエロくてカワイイ!

なにもかもがサイコーだった!!!

tuesdayseptember242013

映画「ブギーナイツ」



70年代から80年代に活躍したポルノ男優ジョン・ホームズを元にした話らしい。ジョン・ホームズのイチモツは規格外のデカさで推定30センチ!

ヒステリックな母親から逃げるようにポルノの世界に飛び込んだ主人公エディは才能を認められトントン拍子で成功していく。

しかしすぐに調子にのって恩人である監督とケンカ別れ。その後はなにをやってもうまくいかず転げ落ちるように落ちぶれていく。

時代は70年代から80年代へと移行しポルノは映画からビデオの時代になる。

登場人物たちはそれぞれ問題に直面し傷ついていく。ボロボロになったエディは監督に助けを求め、ふたたび昔の仲間たちとポルノを撮るのだった。

と、ざっくり言ったらこんな話。

バート・レイノルズやらジュリアン・ムーアやら出演陣が豪華。

そして女優たちの脱ぎっぷりがいい。ジュリアン・ムーアも脱いでます。小ぶりなおっぱいにピンクの乳首がかわいい。ヘザー・グレハムはおっぱいどころか陰毛まで披露している。

脱ぎっぷりのいい女優は気持ちいいね!

mondayseptember232013

映画「ブロンソン」



チャールズ・ブロンソンのことを高橋ヨシキ氏は「暴力しか言語をもたない男」と言っていた。

チャールズ・ブロンソンことマイケル・ピーターソンは現在も英国で服役中の実在の人物。「チャールズ・ブロンソン」とは、地下の格闘場でのリングネーム。

暴力でしか自己表現の術を知らない様は、子どものように無邪気ですらある。というか、そういう風に描いている。屈託のない笑顔や女性への純朴さ。すべてが子どものようだ。だから暴力描写もむしろキュート。まるで子どもが暴れまわっている様。

頻繁に挿入される「独白」と「劇場」のシーン。これは「彼の人生自体が劇場である」ということを表現しているのだろう。彼自身が語る犯罪の動機が「有名になりたかったから」だから。

しかし、こうも無邪気に暴力をふるう男を見ているとなぜこんなにも気分がいいのだろう? 理由はわかりきっている。日常世界でもっとも抑圧されるものが「セックス」と「暴力」だからだ。だから、映画のなかで自分が傷つくことも気にせず、好き放題に暴力をふるう男を見ているだけでスカッとするのだ。

舞台がアメリカではなく英国だというのもイイ。英国ってどこか伝統っぽいものが残っていて保守の匂いがするから、そのなかで無法に暴れまわるブロンソンは痛快ですらある。

彼は子どもだ。子どものままの衝動を子どものままの無邪気さで表現している。彼の「劇場」の出演者は彼一人しかいない。彼以外はみんな観客にすぎない。しかし、それは本来誰しもが持っている感情であり欲求であるはずだ。

なににも縛られないセックスと暴力は魅惑的だ。それが日々の世界で抑圧されているから。

でもまあ、こんな人間が隣にいたらメッチャ迷惑だけどね!

fridayseptember202013

3ピースでスタジオへ

ひさしぶりにバンド演奏をした。

元同僚とその彼女と三人でスタジオに入った。久方ぶりのバンド演奏はなかなかたのしかった。

体の使い方はいまいちで固かった。キックやロールに力が入ってた。右手の親指の爪が痛い。

ウラはたま~に鳴ってた程度だった。それでも少しは掴めた感じはある。

呼吸はよくできた。呼吸のおかげで演奏が締まった部分もあった。

バンド演奏はなによりも得るものが大きい。一番の練習になる。これは定期的に行いたいな。

thursdayaugust292013

近未来をイメージする

「集合知」という言葉がある。一人の優秀な頭脳よりも多数の一般的な頭脳のほうが良い判断をし、より良い未来へ導く。というもんらしい。それが数学的に証明されているらしい。

著者は、この「集合知」がルソーのいうところの「一般意志」に相当するという(一般意志の現代版ということで「一般意志2.0」と名付けられている)。ちなみに「一般意志」とは「つねに正しく、つねに公の利益を目ざす」ものであって「特殊意志(個人の意志)」の総和である「全体意志」とは違うものなんだそうだ。

著者はそれを民主主義に反映させようという(「民主主義2.0」)。当初は直接民主主義のことを言ってるのかと予想してたがまったく違っていた。具体的には議事堂のなかにモニターをおいてニコニコ動画のように国民のツッコミを入れるという。とてもSFの匂いがする(著者はSF作家でもある)。

方法論はともかく「国民の集合知を政治に反映させよう」というアイデアは素晴らしいとおもう。ネットを使って直接民主主義を行うことには「現実的でない」と著者は言う。たしかにそうかもしれない。
また「日本2.0」では「ゲンロン憲法」なるものをつくっている。総理の直接選挙制や観察院・人事院の独立などいろいろな特徴があるがこれは「リベラル憲法」だということだ。

ゲンロン憲法の一番の特徴はやはり「国民」と「住民」という概念だろう。「国民」とは日本国籍を持つ者で現憲法のそれと同じだ。海外在住でも日本国籍があれば「日本国民」ということになる。一方「住民」とは日本の国土にすんでいる者をいう。そこには日本国民だけでなく在日外国人も含まれる。つまりはこの「住民」にも参政権を与えようという考えだ。

現在の日本のもっとも重大な問題ともいえる財政と社会保障の危機は少子高齢化と人口の減少に主な原因がある。それをかいけつするには外国人の積極的な受け入れしかないと著者は言う。賛成である。この国の排他的なローカル・ルールには辟易しているので外界の遺伝子を受け入れ価値観や思想やシステムなどどんどん進化させるべきだとおもう。

あと二院制の設計を独創的だった。そこで世界の二院制を調べてみたところ、いろいろ面白いことがわかった。たとえば英国の貴族院は一代限りの貴族の称号を得た有識者で構成されている。その他にも任命制だったり間接選挙制だったりと世界の上院(日本の参議院)は選挙制度や役割において下院(日本の衆議院)と差別化しようと努めている。上院はその高い識見により下院を監視、助言する役割を担保しようとしている。

ゲンロン憲法での参議院(国民院)は国家I種のような資格の合格者や博士号取得者、一部上場の経営者などを条件にしている。そして国外の外国人にも被選挙権がある。

まあ、そこまでしなくても参議院の個性化は必要だとおもった。

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル
東 浩紀
講談社
売り上げランキング: 25,119

日本2.0 思想地図β vol.3
日本2.0 思想地図β vol.3
posted with amazlet at 13.08.16
東 浩紀 村上 隆 津田 大介 高橋 源一郎 梅原 猛 椹木 野衣 常岡 浩介 志倉 千代丸 福嶋 麻衣子 市川 真人 楠 正憲 境 真良 白田 秀彰 西田 亮介 藤村 龍至 千葉 雅也 伊藤 剛 新津保 建秀
ゲンロン
売り上げランキング: 39,536

thursdayaugust292013

ゲイジュツにおける三つにステージ

ゲイジュツには三つのステージがあると個人的に思っている。

第一段階は「鑑賞」のステージである。

小説を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、絵画を観たり……ゲイジュツを楽しむ態度である。「鑑賞」も立派なゲイジュツ活動であるとは岡本太郎大先生もおっしゃっている。

しかしこの段階は楽である。なぜなら受身だから。すでにあるものに対して「おもしろい」とか「つまらない」とか言っていればいいから。

しかし「鑑賞」はゲイジュツ活動の基本である。

第二段階は「模倣」のステージである。

絵画を模写したり、楽器を奏でたりして、自分もそのゲイジュツ活動に参加しようとする態度である。これは「鑑賞」ほどお気楽ではない。技術を習得し、自らの肉体と対話しなければならないからだ。

そして時間がかかる。ある意味終わりはないと言える。しかし「模倣」のなかから「自分」を見つける作業であるとも言える。

第三段階は「創造」のステージである。

小説を書いたり、絵を書いたり、作曲したり、と作品を作り出そうとする態度である。これは究極である。困難の道程である。面倒くさい作業である。見返りはない。

「創造」することだけでも困難なのに、「創造」が手段になり結果や報酬を求めるようになってはいけない。そうではなく「創造」すること自体が目的にならなければならない。

ほとんどの人がここに辿り着けない。それでも辿り着きたい。

sundayaugust182013

休息

2週間の休息。

本を読み、映画を観て、楽器を奏で、物語を紡ぎ、酒を呑みながら積年の垢を落とそう。

あ、あと試験勉強もね。
fridayaugust162013

孟嘗君

孟嘗君全五巻読了す。

正直なところ、前回読んだ「太公望」とともにあまりおもしろくないという印象だった。最後の章までは……。

最後の章で怒涛のクライマックスが待っていた。いままでのすべてを集約した。そして生き別れた息子との邂逅。仁義を重んじ、人を愛し、人に愛された人のお話。

しかし、思うところもある。

物語に登場人物は「良いところ」ばかりじゃなんの魅力もないってこと。弱点やダークな部分があってこその個性だ、ってこと。

とくに女性の描き方が画一的というか、美女しか出てこない。それしか個性がない。「それってどうなの?」と正直おもってしまった。

人間描写が苦手な作家なのかもしれない。

孟嘗君(1) (講談社文庫)
孟嘗君(1) (講談社文庫)
posted with amazlet at 13.08.12
宮城谷 昌光
講談社
売り上げランキング: 32,183

mondayaugust122013

シャイニング


近頃、昔の映画で見てないものを見ている。

で、「シャイニング」を見た。スンタリー・キューブリックは映像美が有名だけど、たしかになんでもないシーンの映像ですら美しかった。なんなんだアレ? キューブリックすげー! としか言いようがない。

さて、この映画の原作はスティーヴン・キングなのだが、映画は原作をめちゃくちゃ改変してまったく「別物」になっているらしい。

ちょっと調べたところ、主人公のジャックは元々気弱な性格であった、それが邪悪なホテルの意思によって凶暴な人格に変貌する、ジャックの妻は自立した女性である、ジャックの息子のダニーの超能力が物語の「鍵」になる、黒人の料理人ハロランはもっと重要な役回りで登場する、などなどの相違点があるらしい。

たしかに、ジャック・ニコルソンじゃなくもっと優しげな俳優のほうが精神を乗っとられたときのギャップが引きたてられたんじゃないか、とは思った。しかしジャック・ニコルソンの怪演は凄まじく、彼の演技だけでも観る価値はあるのだが……。

それに息子ダニーの超能力(シャイニング)がほとんど活用されず、その設定がなくても物語は成立するくらいだった。また同じ理由でハロランの存在意義も希薄だった。

原作の小説はそこらへんをきちんと回収して物語としての完成されている印象をうけた(読んでないけど)。

また、映画はイメージのカットインなど多用し芸術色が強い作品なのだと感じた。

ま、映画は映画で「アリ」だと思うし、この映画が素晴らしいことは誰しもが認めるところでしょう。

wednesdayaugust072012

バカでクズでカス

オレはバカでクズでカスだ。それはもう、どうしようもなく否定できない。

しかし、それは性質だ。変えようのないもの、だ。

だから、それはそれとして認め、受け入れるしか、ない。

それとは関係なく、「努力」については評価してもいいと思う。自分の「努力」を自分が認めてもいいと思う。それくらいは罪のない行為だと思う。たとえオレが罪深い人間だとしても。

thursdayaugust012013

オフ・ビートがリードになる

久しぶりにスタジオに行き、生のドラムを演奏してきた。

手足に痛みもなく疲労も少ない。つまり、力まず演奏できたということだ。スネア・スタンドとスネア用の消音パッドを購入し練習セットに導入してから、そのあたりの上達がめざましい。うれしいことだ。

「打つ」と「落とす」だ。腕は「叩く」ではなく「打つ」、足は「踏む」ではなく「落とす」。この感覚が大事だ。それができれば手足に負担がない。

そして、オフ・ビート(裏拍)である。

オフ・ビートがリードになる。シンバル・レガートがリードの役割を果たすのではない。オフ・ビートをつねに歌うことでテンポはキープされる。

そして「呼吸」。

普段の呼吸のように無自覚に「吸って吐いて」をくりかえしながら演奏するなんて本来できないのではないか。「身体をコントロールする」ということは呼吸を意識せずには不可能ではないのか。

ドラムに限らず、楽器を演奏するという行為は「身体との会話」だ。それは理屈抜きに価値のある行為だとおもう。

thursdayaugust012013

トータル・リコール(2012)



空飛ぶ車が見たくてこの映画を借りた。

シュワちゃんの「トータル・リコール」も観たはずだが、ストーリーが異なってる? シュワちゃん版をよく覚えていない……。

ストーリーは……まあともかく、「空飛ぶ車(磁力ドライブで浮いている)」「立体移動するエレベーター」「手の平に埋め込まれている携帯電話(ガラスに手をあてるとモニターが表示される)」「ホロスコープ(インターフェイスの他にも顔を変えるという使い方も)」など近未来ガジェットはよかった。

描かれている近未来世界も三種類ある。ブレード・ランナー的アジアンで雑多な街(コロニー)、富裕層が暮らす明るく綺麗な街(ブリテン)、化学戦争のため人類が住めなくなった終末的世界(ノーゾーン)。これだけでも近未来ファンとしてはうれしい。

ま、ストーリーは……だけどさ。

saturdayjuly272013

掘出し物に出会う

本日は雨天なり。新宿へぷらっと行く。スネア・スタンドの掘出し物でもないかと。

はじめに山野楽器に行ったがお目当てのパールのS-790が置いてなかった。次にダメ元でイシバシ行く。そして神のめぐり合わせか、中古のパールのS-790が2,600円ほどであった! これは買うしかない! 即購入しました。

で山野戻り消音パッドを買う。ふたつ合わせても4,000円ほど! こりゃいい買い物をした!

ドラムを打つときに「力み」は禁物である。しかしわかっちゃいるけどそれが難しい。

天才でもないワタクシの場合、パターンやフレーズも何度も何度も反復することでやっと「歌」になる。

村上ポンタ秀一先生の動画は宝の山だ。タメになるものがたくさんつまっている。いまだに勉強です。

wednesdayjuly242013

遊星からの物体X



この歳になってはじめて「遊星からの物体X」を見た。いや、見れた。

これは1982年の作品だ。ワタクシはまだ小学生。とてもじゃないがこわくて見れなかった。そしてようやく今見た。

すばらしい!

82年の作品とは思えない現代でも見劣りしない斬新さ! とくに上の有名なシーンは名シーン中の名シーン。映画史に残る名シーンだろう。

照明や血糊などをつかって「怪物」をリアルに見せようとする工夫がされている。それがまた「味」になっている。

「エイリアン」もそうだったけど、最近の映画はなんかが発達しすきて「見せ過ぎる」ていると感じる。逆に「味」がなくなっていると思う。

「遊星からの~」は「だれが怪物だかわからない」「だれも信用できない」という疑心暗鬼に陥るサスペンスの要素もあるので深い。

ついでに、「遊星からの~」の前日譚である2012年作の「遊星からの物体X ファースト・コンタクト」も見た。前作に対するオマージュも盛り込まれよくできているが、やっぱりジョン・カーペンター作のほうがいいな。

wednesdayjuly172013

パラディドる

ひさしぶりに太鼓の練習をした。

村上ポンタ先生がリズム・パターンやフィル・インのなかでパラディドルをつかっていたのでパラディドルの練習をした。

ディドルの部分をダブル・ストロークでやっていたが安定しない。16ビートのリズム・パターンでのパラディドルはテンポがゆったりなのでシングルで「タンタン」とやったほうがいいような気がする。

またはシングルともダブルともつかない曖昧な打ち方でもいいかもしれない。

村上ポンタ先生の演奏はいまだに研究の余地がある。単純にフレーズの参考にもなる。フラムとパラディドルを合体させたようなフレーズを何回もリピートした結果、その手順は「rLLRLLR」ということが判明した! YES!!!

あと、村上ポンタ先生の左手のマッチドからレギュラー、レギュラーからマッチドへの切り替えの速さとパターンの豊富さだけでも驚愕なのです!

村上ポンタ先生の一番最近のセット。カッコいい。
tuesdayjuly162013

「みんな!エスパーだよ!」最終回を観て

テレビ東京で放送されていた「みんな!エスパーだよ!」が最終回をむかえた。

正直なところ前半まではおバカでよかった。サイコメトラーが登場する回なんかは不覚にも泣いてしまったほどだ。

それなのに後半から急にクオリティーが落ちた。園子温監督、モチベーションなくなっちゃったのかな?

そこで「自分ならどういう展開にするだろう」と考えた。

テルさんが恋する回は着想はなかなかいいのでもうちょっと工夫すればもっと良くなりそう。たとえば、幻覚を見せられて恋に落ちたテルさんは愛を知り、セックスを経験し、そして失恋する。そこで人間として成長すると同時に超能力も成長し、エロいもの以外でも動かせるようになる、とか。

その際、テルさんを救うべく「幻覚を見せる能力」をもつ女エスパーと対決する嘉郎は、「テルさんを助けたい」という強い気持ちから自分自身も「幻覚を見せる能力」を覚醒させサイキック・バトルに勝利する。

その後は、やはり原作と同じように殺人鬼エスパーを登場させダーク路線に舵を切る。

やっぱり紗英は死んでもらわないといけない。それによって嘉郎はみんなの前から姿を消す。自責の念に苛まれる教授。残されたエスパーたちは協力して犯人をさがす。しかしまたしても殺人鬼エスパーに仲間が殺されてしまう。なんとか犯人の居所を突き止める美由紀だったが犯人に追い詰められ絶体絶命のピンチに。しかし突然犯人は苦しみだし発狂してしまう。現場から去る制服の男子の姿。

次の回には何事もなかったような平和な日常が展開される。紗英も生きているし、嘉郎も以前のようにノー天気。

しかし、それは嘉郎が事件に関係する全ての人間の記憶を操作したせいだった。嘉郎の力は東三河一帯の人々全員の記憶を操作できるほど強いものになっていた。そして殺人鬼エスパーを発狂させたのも嘉郎だった。

みんなで紗英を殺した犯人を探したときに使ったアイテムなんかを見て記憶を取り戻すテルさん。そしてそれが嘉郎の仕業と知る。嘉郎を説得しようとするテルさんだったが自分の世界に埋没している嘉郎は聞く耳をもたない。それどころか、自分の世界を壊そうとするテルさんを憎悪する。嘉郎に幻覚を見せられ死の淵にたたされるテルさん。嘉郎と闘いたくないテルさんだったが追い詰められ仕方なく念動波を放つが嘉郎の姿がテルさん自身に変わる。テルさんは自分自身に念動波を打ち込み絶命する。

日常に違和感を覚えた教授はとうとう自分たちが嘉郎に記憶操作されていたことを突き止める。が、手がかりをエスパーたちに残して嘉郎に殺される。

教授の手がかりにより嘉郎と対決するエスパーたち。しかしまったく歯が立たない。嘉郎を愛する美由紀はダーク・サイドに堕ちた嘉郎を憎みきれない。しかし嘉郎は容赦なく美由紀を殺そうとする。深い哀しみのなか、美由紀は覚醒し嘉郎と同レベルの能力を開花させる。

嘉郎とのサイキック・バトルに勝利する美由紀。嘉郎は自分自身の精神を操作し内的世界に閉じこもる。泣き崩れる美由紀。

幸せそうな嘉郎の顔。嘉郎の見ている光景は紗英と二人っきりの世界だった。完。

みたいな?

mondayjuly082013

太公望

宮城谷昌光氏の「太公望」を読む。

紀元前11世紀の商周革命を描いている。太公望は仙人みたいな老人ではなく、革命を目論み地下で暗躍するレジスタンスの若きリーダーとして描かれている。

個人的には同じ歴史的事件を体制側(紂王&箕子)から描いた「王家の風日」のほうがおもしろかった。俯瞰でどういう出来事だったのかがわかるから。

「太公望」は、危機一髪のところで救われたり生き別れになっていた仲間と偶然再会したり、若干「ご都合主義でない?」という感じが否めない気がした。

太公望〈下〉 (文春文庫)
太公望〈下〉 (文春文庫)
posted with amazlet at 13.07.04
宮城谷 昌光
文藝春秋
売り上げランキング: 112,957
thursdayjuly052013

初・青森、そして棟方志功


一泊二日で青森へ。

錆びた市営バス。古びた建物。まばらな人。青森は思いも寄らないほど「寂れた」街だった。

ホテルで見たローカル・ニュースでは「市営バスへ5億円の補助金を国に申請する」と報じられていた。あのバスの錆は「海沿いの街だから」という理由だけじゃないようだ。

青森駅前にあるランドマーク的な複合施設「アウガ」も経営難であるらしく経営再建のため「地元のなんたら銀行の元頭取」みたいな人が社長に就任し経営再建に着手するというニュースもやってた。そのおじさんが「できる人」に見えなかったので、ワタクシは余計なお世話だが不安を感じた。

青森は市内よりも弘前とか津軽とかのほうが観光地として充実しているのだろうか? 「ねぶた祭り」のとき以外はこんなもんなんだろうか? 青森市、場末感パない。

さて、わざわざ青森クンダリまできたのは「棟方志功記念館」に行くためだ。ワタクシは棟方志功の「十大弟子」を見たかったのだ。この「十大弟子」は元々鎌倉の美術館にあったのだがその美術館がなくなってしまい、「十大弟子」は棟方の出身地にあるこの記念館に移されたようだ。ワタクシが気づいたときには鎌倉の美術館は「休館」としていた。それがいつのまにやら閉館されていたのだ。

ワタクシはいつしか必ず「十大弟子」を見てやろう、と心に誓いこの日を向かえたわけであった。

しかし、初日に記念館に行く予定だったのだが「乗るバスを間違える」という痛恨のミスにより閉館時間に間に合わず断念。一日目は土産購入にあてることにした。

夜はゲーリーになる。昼にたべた寿司があたったか? 食中毒の恐怖に怯えながら就寝。起床してもゲーリーはつづいていた。しかたなくチェック・アウト後、薬局でゲーリー止め薬を買って飲んだ。

その前にホテルで朝食をたべたのだが、そこでやっと郷土料理をいただいた。せんべい汁とか。

二日目はバスも間違えることなく棟方志功記念館へ。待望の「十大弟子」を拝むことができた。画集などに載っているものとハンコの位置がちがう。ま、版画(棟方的には「板画」)だからいくつかバージョン違いがあるのだろう。

記念館の「十大弟子」はハンコの位置が「一人目は上、二人目は下」というふうに交互に押されていた。

また、俯瞰で見ると白と黒のコントラストになっている。衣類や靴が白っぽい者と黒っぽい者が交互に立っている。そして十大弟子の左右に普賢と文殊がいる。

一人一人の表情もおもしろい。あと「手」の表情が良い。

他にもベートーベンの第9をモチーフにした「歓喜頌」や弓矢を持たない狩人らの「華狩頌」やねぶた祭りを描いた長大な絵巻などがあった。

棟方の板画に描かれる人や動物ってカワイイな。

これで人生の目標をひとつクリアしたぜ!

fridayjune282013

エヴァQ

エヴァQを観た。

イミフすぐる。冒頭の戦闘シーンからなにやってるかさっぱりわからん。「ヴンダー」とか「主機」とかまったく説明してくれない。

「それがエヴァなのさ……」

と言われたらそれまでだが。

「Q」は「旧」と同じテイストを感じた。説明不足で、それが意味深な印象を与え、グロくて、後味悪い。もし、「新」の後半をそちらのほうに舵を切るなら「新」をつくる意味があったのかな? とおもってしまう。

そうではなく、ファイナルに向けての布石で「ここで一回落とす」という展開ならまだいいのだが。

もうひとつ気になったところは、エヴァ自体の扱いが「気軽」になってるところ。「旧」のときのエヴァは「じつはコレが何者かよくわかってないし、下手するとコントロール不能になって大変なことになっちゃう」という「危うさ(ある意味で「原発」感のような)」があったのに「新」ではそれが感じられない。「新」ではフツーのロボットになってる。

そしてなによりも一番心に残ったのは、マリが前傾姿勢になったときのオパイのタレ具合なのであった……。


thursdayjune202013

新宿御苑にピックニック!

日曜日に新宿御苑にピックニックに行った。

快晴だった。われら家族三人と奥さんの友達で行った。新宿のデパ地下で食べ物を買い、御苑近くのコンビニでビールを購入し、いざ御苑へ。

快晴の日曜日ということもあって家族連れが多かった。

レジャーシートを敷いて昼ご飯。500ml2本でほろ酔い。

娘を芝生で遊ばせる。ワタクシがシャボン玉を吹いてたら他のお子たちもあつまってきて囲まれた。ちょっとした人気者になったw。それを見た娘も大はしゃぎだった。

娘を裸足にして芝生のうえを歩かせた。はじめは恐る恐るな足取りだったがすぐに慣れて走り回っていた。裸足は気持ちいいね。

たしかったがちょい疲れた……。

thursdayjune132013

おおかみこどもの雨と雪


この映画の公開時、巷では評価が賛否にまっぷたつに分かれたらしい。が、そんなこと個人的にはどうでもいい。

この映画は、すばらしい。

親って子どものためになら自分を犠牲にしてでもなんでもやろうとする。それくらい「子どもへの気持ち」って強いものだと思う。

おおかみこどもの姉弟を抱え夫に先立たれたシングル・マザー、花。世間の目からおおかみこどもを守るには都会の生活はきびしかった(露骨には描写されていないが)花の精神も病んでいく)。

そして花が選択した道は人の目のない田舎に引っ越すこと。親子三人は自然あふれる田舎に越して子どもたちはのびのびとするが、すぐにその生活は破綻する。

地元の人々の助けを借りて花たち三人はなんとか生きていく。

そして、子どもの成長と旅立ち。「親」というものの切なさに泣いた。一生懸命育てても子どもは巣立っていく。言い換えれば、巣立たせるために育てている。

花は完璧で理想的な親として描かれていない。無知で生活力もないし、目を離してたとはいえ雪が乾燥剤を飲んでしまう事故を起こしたり雨が死にかけたりするし、子どもの希望よりも自分の感情を優先させて子どもの夢をはばもうとするし、「あの子を守らなきゃ」とか言って自分が死にかけるし、もうサイテー。

でも、親なんてそんなものだ。そして、子どもは必然的に親から巣立っていく。そりゃもう唐突に。悲しいってもんじゃない。でもそれが親子ってもんなんだろうな。

雪が生まれたシーンで彼(おおかみおとこ)と花が子どもの将来に想いを馳せたり、子どもの幸せを願ったりする。自分らも娘が生まれたとき同じことしてたなぁ~と思い出した。

ま、自分が親になったからこの映画がこんなに沁みるんだろうな。

「おおかみこどもということがバレてピンチに陥る」というありがちな展開になってもおかしくないところを、そっちの方には行かず「親子」というテーマから1ミリもズレずにラストまで行ったのが個人的には良かった。

saturdayjune082013

最下層の仕事

この仕事をしていると心が腐る。日々、心が腐る。我々を守ってくれるものはひとつもない。暴力やセクハラをされても耐え忍ばねばならない。我々に基本的人権なんてものはない。頭のオカシイ連中の基本的人権は守られても我々の基本的人権は保証されない。聖人君子にでもなれというのか? そんな人間は存在しない。しかしそれを要求される。それは我々に人間であることをやめろと言っていることと同じだ。事実、人間であることを捨てないとこの仕事はつづけられないのかもしれない。しかしその期待には応えられる人は皆無である。我々も感情と自尊心をもった人間であるらしい。深く傷つく。疲弊する。

この仕事は糞だ。一刻も早く脱出しないと私は人間でなくなる気がする。

sundayjune022013

映画「告白」



なんとなく借りたDVD。この映画おもしろかった。

監督は「下妻物語」や「嫌われ松子の一生」の中島哲也監督。「下妻物語」はおもしろい映画だった。

この映画「犯人探し」の推理モノではない。犯人は早い段階で判明する。この映画は復讐劇だ。しかもただ「やり返す」だけの復讐ではない。むしろ「殺さず」に一生かけて地獄の苦しみを味わわす復讐、だ。

少年法で守られた13歳の殺人犯。彼は自分の命を軽く考える。ゆえに他人の命も軽い。自己顕示欲のための殺人。さらに自己顕示欲のための自殺を企てている。そんな殺人犯を殺してもなんの復讐にもならない。

では一体どんな復讐が? 生まれもっての殺人鬼(Natural Born Killer)はいない。命を軽く考える経緯、トラウマがある。そのトラウマをさらに深く傷つけ、自責の念に苛まれた一生を送らせる。自殺の許されない環境で(例えば刑務所)。

これは、もっとも残酷な復讐に思える。

映像をまるでPVのように見せているのも、レディへなどの美しい音楽を使っているのも、「対比」によって残虐性を強調する効果を発揮している。

中島作品では「下妻~」以来おもしろかった。

wednesdaymay152013

みんな!エスパーだよ!



金曜の夜0時からテレビ東京で放送されているドラマ「みんな!エスパーだよ!」がいい。下らなくてwww。

映画「ヒミズ」のコンビの園子温と染谷将太がテレビドラマで、しかもコメディだ。そしてお色気だ。パンチラの連続だ。おもしろくないわけない。

キャスティングがすばらしい。主人公を演じる染谷将太はもちろん、二人のヒロインの夏帆と真野恵里菜、脇を固めるマキタスポーツ、深水元基、柄本時生、安田顕がいい。

マキタスポーツの「輝さん」がエロの権化みたいで毎回おもろいwww。深水元基は映画「クローズ・ゼロ」のリンダマンだったとは軽く驚く。

ということで、原作の方も気になり今発売されている全三巻をまるっと大人買い。

設定が若干ちがっていて、原作のほうは大分県野津町が舞台になっている。そのためテレビドラマとは方言がちがう(テレビドラマでは愛知県東三河が舞台)。個人的には三河弁のほうがインパクトある。

そして第三巻で展開がガラッと変わる。シリアス路線に大きく舵を切る。これはこれでいい。

しかしテレビドラマのほうはこれからはオリジナル脚本になっていくはず。それはそれで期待。




fridaymay102013

うつつはゆめとまぼろしか?

なにもかもが現実感がないときがままある。奥さんもいたり子どももいたりすることも夢か幻かとおもうことがままある。これ離人症の症状か?

なにもかもが夢か幻か?

人生とはなんぞや? 人生とはなんぞや?

thursdayapril182013

無題

もう、やさぐれだ。ドラムなんてもう辞めた。決めた。いつまで経ってもヘタクソで自分の無能さに絶望した。ドラムだけじゃなく音楽も辞めた。もう辞めだ。どうせろくにバンドもできないし。才能ないし。やってても虚しいだけだし。

やさぐれ絶頂だ。

シナリオも早く書き上げて解放されたい。早く読書がしたい。

sundayapril142013

紂王 vs. 太公望

NHKオンデマンドで「古代中国 よみがえる英雄伝説 紂王と太公望~王朝交代 古代最大の決戦」を観た。

殷(商)と周の大決戦「牧野の戦い」についての番組。

まず中国史上最悪の暴君といわれる「紂王」が本当に暴君だったのかと疑問を投げかける。まあ、勝った側の周が語ったであろう歴史だから真実とはちがうだろう。史記も周の記録を元に「牧野の戦い」を書いたらしいし。

現在、「殷墟」というところに殷(商)の都の遺跡があり世界遺産になってるらしい。

まず殷(商)が当時の他の国とちがった点はその圧倒的な軍事力だった。その軍事力を支えたのが青銅の技術だった。まだ周りの国が石でつくった武器をつかっていたのに対し、殷(商)は青銅の武器をつかっていた。その圧倒的軍事力で周りの国々を押さえつけていた。

それに有名な「戦車」だ。木と青銅でつくられた二輪の戦車は高さ1.5m、横幅3m。それを二頭の馬で轢かれていた。殷(商)以前に中国で戦車は発見されていない。つまり殷(商)がはじめて戦車をつくったことになる。なぜ殷(商)は突然戦車をつくれたのか? それは、殷(商)が西アジアとつながっていたことに起因すると考えられている。

世界史的に戦車がはじめてつくられたのはメソポタミアで、その戦車は二人乗りで車輪は板と板を張り合わせてつくられていた。メソポタミアが生み出した戦車はエジプト、インダスという四大文明の地域に伝わっていったが、中国への伝播は遅れた。なぜなら西アジアと中国の間には5,000m級のパミール高原があり、北に大きく迂回しなければ行き来ができなかったからだ。

中国の歴代の王朝が黄河のほとりに都を構えたが、殷墟は黄河から北に離れたところにある。それは西アジアとの貿易のためと考えられている。

殷(商)の戦車は独自に改良を加え、当時の世界の戦車のなかでも最も優れていた。たとえば車輪に使うスポークの数が、同時代のエジプトでは6本だったのに対し殷(商)の車輪には20本以上のスポークがあった。それにより強度が増し、三人乗りが可能になった。

有名な「酒池肉林」も殷(商)の文化から見てみると違った解釈が可能だ。殷(商)では「酒」は神とつながるために重要なものだった。神に近づくための陶酔を与える酒は儀式のなかでつかわれた。酒器は神聖な道具だった。酒を酒器に入れ温めて飲んだとされている。

殷(商)の青銅器の技術は究極のレベルに達していた。青銅は銅と錫と鉛の合金。厳密に管理された工場のようなものがあったと考えられている。

さらに殷(商)では牛・豚・羊の家畜化もすでに行われていた。地下水道さえあった(黄河から離れていたため水の確保が重要だった)。それは食料の確保が計画的に管理されていたことを示す。

「酒の文化」と「食料の豊かさ」。それがのちに「酒池肉林」として表現されたのかもしれないと番組では言っている。

さらに殷(商)は「文字」を発明した。それはいまでもつかわれている「漢字」だ。3,000年以上使われている文字は漢字しかない。殷(商)は文字(甲骨文字)を卜占につかっていた。卜占は王のみが行える神聖なものだった。それに対し、次の王朝「周」では文字は国と国の「契約」につかわれた。つまり、殷(商)から周への王朝交代は「神の政治」から「人の政治」に、「神権政治」から「封建政治」に転換したのだった。

殷(商)の儀式では人や牛の生贄を捧げていた。殷(商)の神は人の頭を食べるとされていた。「羌」とは人の生贄を指す。そして「羌」はあるひとつの遊牧部族であった。殷(商)の人々はその遊牧部族を捕まえ首を切り、生贄として神に捧げていたのだ。

高度に発達した文化と相反するような残虐性。しかしそれはいまのわれわれ現代人の感覚で測っていけない。それが当時の世界観だったのだから。

番組のなかで中井貴一が「人間が誰しも持っているの陰と陽の部分が殷(商)という王朝にはすごく表れている」と言っていたのが印象的だった。

さらに、悪女の象徴の「妲己(だっき)」だがその存在を証明する発掘はいまだない。これは殷(商)では女性の地位が高かったが、周では女性の地位が低かった。その文化の違いから生み出された存在なのかもしれない。

では、殷(商)を倒した周とはどんな国だったのか?

周は元々農耕を行いひとつの土地に留まる安定志向の国だった。それが紀元前13世紀頃に大きく変化する。殷(商)と積極的に関係を持つようになった。殷(商)に接近し急速に成長していった。

周は太公望が中心となって殷(商)包囲網を着々と築いていく。しかも表向きは殷(商)に取り入りながら、裏では殷(商)に気づかれないように密かに他の国々と同盟を結ぶという「強かさ」で。

周と同盟を結び「牧野の戦い」に集った八つの国を「牧誓八国」という。そのなかで「蜀」という国の存在が最近の発掘で明らかになっている。蜀は独特の「仮面文化」をもち、しかも殷(商)と同等の国力をもつ部族だった。これは「黄河流域しか文明はなかった」としていた中国古代史の常識を覆している。

殷(商)の包囲網が実際にあったとされる証拠として殷(商)末期、青銅器の発掘物が少なくなっているという。逆に周の青銅器の生産量が増えたという。それは周が銅の生産地を押さえ殷(商)に銅が行かないようにしたと考えられる。それにより国力が衰退した殷(商)だった。

さらに殷(商)の東側で反乱が多発しており殷(商)の精鋭部隊がそちらに行っているとき「牧野の戦い」が起こった。そしてたった一日の「牧野の戦い」で500年以上続いた殷(商)王朝はあっけなく滅んだ。

周は土地を各国に収めさせる代わりに貢ぎ物(税)を納めさせた。いわゆる「封建制度」だ。そして太公望は「斉(せい)」の国の開祖になった。

thursdayapril112013

顎関節体操

顎関節体操なるものをやってみた。ただ口を大きく開けたり、アゴを前に出したり左右に動かしたりするだけのストレッチングなのだが、これ耳鳴りに効果あるかも(ワタクシの場合)。

気のせいかもしれないが耳鳴りがしてない時があった。

あと、割りばし噛み療法なるものがあって、ワタクシの場合前歯で噛むことが良いらしい。ガムを前歯でくちゃくちゃ噛んでみた。それも良かったのかも。

ワタクシの首や肩のコリも耳鳴りに影響してると思われる。そこらへんのストレッチもやれば、もしかしたらこの耳鳴りは治るかもしれない。

一筋の光明が見えた。

thursdayapril112013

絶望的にヘタクソ

今日は午後2時から新宿のスタジオ・ノアでドラムの個人練に行ってきた。

10インチのタムタムと14インチのフロアタムを借りた。14インチにすればフロアタムでビートを刻むときバスドラの聞こえが良くなるかと考えていたが、16インチのときとまったく変わらなかった。相変わらずバスドラの音が埋もれて聞き取りにくかった。フロアタムの音量は基本的にデカい。

10、12、14というタムでやってみたり、10と12を逆に取り付けてみたりした。が、最終的にはもうどうでもよくなった。「なんでもいいや」って。

それよりも、もう20年もドラムやってんのにこのヘタクソさ加減は絶望的だな。オレはオレの無能さに絶望した。マジもう辞めようかな……。

thursdayapril112013

耳鳴り治療の経過報告

耳鳴り専門の耳鼻科に行って約三カ月。状態は若干よくなれど完全に耳鳴りが消えそうな雰囲気はない。

一応、頭のMRIも撮ったが脳的にも耳の器官的にも問題はみられなかった。8,000円もかかったのに!

結局、「ストレスが原因」ということになっている。

しかし、ワタクシ的にはもうひとつの原因候補がある。それは「顎関節症」。ワタクシのなかでは顎関節症からの耳鳴り説がかなり濃厚な気がしてきている。

以前どこかで「顎関節症が耳鳴りの原因になる」ということを覚えていたからだ。たしかに「顎関節症 耳鳴り」で検索するとそういう事例が出てくる。

次は口腔外科か? こういうのもあった→斎藤治療院。ここは整体か? なんか「気」とか言ってるが。

よく吟味してみようと思う。

wednesdayapril102013

己れの限界

スタジオ・ノア渋谷1号店にて個人練習を行う。

チャイナ・シンバル20インチを借りてみた。が、やっぱりチャイナの音は好きになれなかった。

そして、クリストファー・マグワイア・スタイルは結局マネできなかった。あんなに練習したのに……。100回のパッド練習より1回の生ドラム演奏だな、と強く痛感。

マグワイア・スタイルで一番ダメだったのはキックだった。マグワイアは極端にカカトを内側に傾ける。それでシングル・ストロークを踏むのは問題ない。問題なのはダブル・ストロークを踏んだときだった。スウィング・ステップ奏法でダブルを踏むわけだが、やはりカカトを内側に入れた形からスウィングするより足をプレートに正対させたほうが力が素直に伝わる(楽にダブルが踏める)ことを実感。

だったらマグワイア・スタイルに固執する意味あんま無い。スタンダードなスタイルに戻す。にしてもオイラはいつまでたってもドラムが上手くならない。才能ないな……orz。

渋谷につづいて新宿にあった3,000円台のスネア・スタンドもなくなっていた。もう、おいらドラム辞めたほうがいいのかしら?

fridayapril052013

NHKオンデマンドで「古代中国 よみがえる英雄伝説 伝説の王・禹~最古の王朝の謎」を視聴する。

NHKスペシャルの夏王朝の謎を追った番組とかぶるところも多かったが、「禹」に焦点をあてているのであたらしい発見や考えさせられるところもあった。

たしか史記には、禹は「治水」の功績により王位を帝舜から禅譲されたとあったと思う。ワタクシは「なんで治水なんだ?」と疑問に思ってた。

この番組を観てそれを理解できた。黄河や長江といった大河は人に恵みを与えると同時に「荒ぶる河」でもあった。太古の大陸にはすでにいくつか文化圏が誕生していたようだがそのほとんどが「洪水」よって滅亡した。

その当時、地球規模の気候変動がありエジプトやメソポタミアもそのために滅亡したようだ。

中国の場合、気温の低下と降水量の増加という異常気象だった。

古代中国では「暦」を独占していた者が「王」であった。暦は農耕と密接に関係していたため暦の情報を独占していた王が民を支配し民の上に君臨できた。しかし大洪水という天変地異で中国大陸にあった文化圏のそのほとんどが消滅していった。そのなかで生き残ったのが禹が治めていた文化圏だった。

禹は治水により河を制し安定した文化圏をつくり中国最古の王朝を生んだ。それが夏王朝だ。

夏王朝があったとされる二里頭村の四千年前の地層から当時の農作物の痕跡をみると、「粟」「黍」「小麦」「大豆」「水稲」という五種類もの穀物をつくっていた。つまりあらゆる気候に対応できたということだ。それがこの文化圏だけが生き残り栄えた理由のひとつであった。禹は河をつかって各地の穀物の情報を集めたと思われる。

それとともに、夏王朝は「儀礼」によって民の心を支配した。その文化の名残りは中国最後の王朝の清にまで引き継がれていく。

夏王朝が直接支配した範囲は半径数百キロほどでしかなかったがその文化の影響はそれをはるかに越える地域にも広がっていった。つまり文化によって大陸を支配したのだ。

その他のキーワードとして「玉」や「龍」などがあった。現在でも中国を象徴するアイコンだ。

ナビゲーターの中井貴一も言っていたが、国の歴史を知ることはその国を理解することであり、自然と愛着も生まれる。だからワタクシは中国を嫌いになれない。

sundaymarch312013

マグワイア・スタイルおよび人からの信頼とは?

今日は耳鼻科に行こうと考えていたけど午後診療がなく断念。「ならば」とスタジオに行こうと決めた。

いろいろ悩んだが結局近場のスタジオに行くことにした。

クリストファー・マグワイア的なセッティングにしてみた。左半身に構える独特のスタイル。これはこれでまあまあ良いと思う。

あと最近チャイナ・シンバルとスプラッシュ・シンバルを重ねてみたいと夢想している。でもそれを試す機会はなかなかなさそうだ。

で昨日知ったけどシンバルって表から打っても裏から打っても音色変わらないんだね。当たり前か。

自分のドラム・セットがほしいくなるな……。

×     ×     ×

これから事業をいっしょにやろうとしている人のいい評判を聞かない。昨日も前の職場の人々の呑み会があったのだが「まさか○○じゃないだろうな」と図星をつかれなにも言えなくなってしまった。

なぜあの人はそんなに評判が良くないのだろう? というより人から信頼されてないのだろう? 私には昔から人を見る目がないからよくわからない。

そして、ならばアドバイザー的な人物のH氏は何故そんな評判の良くない彼とツルんでるんだろう?

でも一度「やる」と言ってしまったからにはやるしかない。

しかしあの連中の呑み会に行くといつも若干不快な気持ちになるのは何故だろうか?

wednesdaymarch282013

創作

物語を創作するのは、まるでゲームのサウンド・ノベルのようだ。

サウンド・ノベルでは分岐点の選択によって物語が変わる。

物語を綴るのも似たようなものだ。いくつもある選択肢のなかからひとつを選んでひとつの物語をつくる。まったく違うストーリー・ラインをたどることだってできる。

正解はない。なにが良いのかわからない。でも、「正しい姿」はあるはずだ。無能なオレはそれにできるだけ近づけるように努力するだけだ。

ギターを伴奏に歌うように、ドラムを伴奏に歌うようになればいいのか? モーモールルギャバンというバンドをみてるとそう考える今日この頃。



mondaymarch252013

映画「るろうに剣心」



アクション・シーンすごくカッコよかった! 「体術も絡めた剣術の戦闘」というのが日本古武術的リアルさがあってよかった。

原作者が「佐藤健でなければ実写化しない」といっただけあってめちゃくちゃハマリ役だった。

冒頭の戊辰戦争のシーン、道場破りとのシーン、クライマックスの「剣心 vs. 外印」&「左之助 vs. 戌亥番神」と純粋なアクション映画として存分にたのしめた。

とくにラストの鵜堂刃衛の闘いで「人斬り」のころに一瞬もどった剣心の残酷さ(「殺してやるからかかってこい」という台詞)とかにシビレた。

アクション映画は「アクション映画に徹して」こそアクション映画的カタルシスを得れるのですよ。という意味でこれは合格!

wednesdaymarch202013

休日の過ごし方

今日は「デザインあ」の展覧会に行こうとおもったが、準備がおそくなったので中止にして、新宿でショッピングということになった。

主に奥様の付き添いである。

率直に「非常に疲れた」という感想である。

娘は歩きたくて仕方なく、そのあとを追うだけでも一苦労である。

昼食に食べた近所の蕎麦屋が案外よかったのは収穫である。安いしボリュームもあって、しかも店主が気が良い人そうであった。

小説「沈黙の王」も読了し、「これほど中国古代史に精通している宮城谷氏の書く『三国志』を読んでみたい」と思った。でもまだ完結してないんだよな。完結して文庫化したら読もう。

その前に読まねばならぬ宮城谷作品が山ほどある。

そして、その前にシナリオを完成させなくてはならない。小箱を修正し、本稿に入らなければならない。

ひとつのことに集中しなければ、何事も成し得ないのだから。

でもってバスドラのペダルとハイハットとスローンの位置関係をこうしてみた。


ハイハットペダルとバスドラペダルが平行に並んでいる。さらにハイハットペダルのほうが奥に位置している。スローンの位置は常識とは逆にだいぶ左に寄っている。

これは「くるり」の元ドラマー、クリストファー・マグワイアに影響を受けてこういうスタイルにしてみた。

左足はハイハットペダルの上に素直にそのままのせるが、右足はカカトをだいぶ内側に傾け、親指からそのつけ根をペダル上にのせる形になる。すると速いダブルは自然とスウィング・ステップになるね。

まあ、こういう特殊なスタイルだといろいろ悩むところもある。たとえば「フロアタム届くのか?」みたいな。それは今度スタジオで試すしかないが。

tuesdaymarch122013

小説「沈黙の王」

中国ではじめて「文字」を創造したという高祖武丁の物語が読みたくてこの本をとった。

上野の国立博物館にある甲骨文字とかマジ「カワユス」なんですけど。なので、その甲骨文字を発明した人物の物語に興味をもったわけである。

夏王朝や殷(商)王朝の話は宗教色が強くて、またちがう趣きの面白さがある。

また、この小説は短編集なので「子産」とか「晏子」とか「夏姫」とかの春秋時代の名前が出てきて、これはまた読まねばならないな、と思った。

沈黙の王 (文春文庫)
沈黙の王 (文春文庫)
posted with amazlet at 13.03.12
宮城谷 昌光
文藝春秋
売り上げランキング: 97,757
tuesdaymarch122013

初MRI

今日はMRIを撮ってきた。人生初である。

当初「あの狭い空間に耐えられるだろうか?」という不安があった。自分は閉所恐怖症気味かもしれないという思いがあったからだ。

しかし、実際は20分間のうちの後半は寝てた。

ワタクシ、閉所恐怖症ではないみたい。

そのクリニックが渋谷だったので、帰りにイケベのドラム・ステーションによる。悩んだがハイハット用の消音パッドを購入する。

モリダイラが扱っているEVANSの消音パッドはむき出しになった本体を叩いても95%も音量をダウンさせるという。ツイッターでメンション送ったら丁寧に返信してくれたので、その好意に「買うか?」とも思ったが結局安い(といっても1,500円もする)ウレタン製のパッドを買う。ま、実際つかってみてコレで十分良いと思う。

そういえば、よく使っていた渋谷の新南口にあった音楽館は閉店していた。シャッターが閉められていた。ちょっと寂しい。

fridaymarch082013

ドラムの自宅練習は擬似でしかない

今日は耳鼻科に行く。「めまい」の検査をすると医者が「問題ないね。というか、むしろバランス感覚すごくいいね」と言われた。人生のバランス感覚はあまりないんですけどね……。

×     ×     ×

現在、自宅にて練習パッドでドラムの練習をするときは至って機械的な練習をしている。だって、ドラムはアコースティック楽器だから。本物でないとほんとはダメなのだ。パッドでの練習などはけっきょく擬似的な練習でしかなのだ。

たとえば、スネアなんかは打つ場所によって音が全然ちがうし、リム・ショット有り無しで全然ちがうし、オープンかクローズかで全然ちがうし。

たとえば、シンバルなんて打つ場所や強さで全然音色ちがうし、ハイハットなんて左足とのコンビでいくらでも歌えるし。

だからドラムは「生」でないと身につかない。

だから自宅練習のときは、BPM80でキックを8分、三連、16分と踏んでみたり、左手(レギュラー・グリップ)をアクセント有りで刻んでみたり、といった機械的な練習をする。しかし、それすらうまくできないオレ。ほんと下手クソ。

しかし確実に日々向上しているのは確か。逆に「いままでこんなことすらできなかったのか……。なにやってたんだオレ?」といった感傷があるのみである。

×     ×     ×

14インチのフロアタムを叩きたくてそのオプションがある渋谷のスタジオノアに電話したが平日の昼間でもとれなかった。しかも電波も悪くて「なんかもう」て感じだった。オレ、ノアと相性よくないのかしら?

エフェクト・シンバルというか、たとえばチャイナ・シンバルにクラッシュまたはスプラッシュを重ねるとか試してみたい。

スプラッシュ単体の音もなぜか好きなワタクシ。なぜかしら?

いろいろ試してみたいことばかりである。
tuesdaymarch052013

映画「みなさん、さようなら」とハイハット・スタンドと恥ずかしいオレ



今日からもう三月か。早ぇーなー。で今朝は寝坊してゴミ出しできなかった。トホホ。

今日は映画を観に行くと決めていた。中村義洋監督の「みなさん、さようなら」だ。テアトル新宿に行く。ここは単館ぽくて好きな映画館だ。しかも今日は「映画の日」で1,000円で映画が観れるのだ!

話はちょいそれるが、自宅のPCでシナリオ書くより外出先で電車の中とかでiPodでシナリオ書いてる比率のほうが断然高い。そしてはかどる。なぜかしら? 今日もボチボチはかどった。しかしだんだん「ほころび」というかストーリーとして破綻してる部分も出てきたし、抜けてるエピソードもあるし、前半も書き変えたいところが出てきた。一回最後まで書いたら整理せんといかんなコレ。

大箱、中箱と書いていっても変更部分は出てくる。簡単じゃないな。

×     ×     ×

映画は……サイコーだった。中村義洋作品に裏切りなし!

小学校の「先生さようなら、みなさんさようなら」で物語がはじまる。そしてこのタイトルは主人公・悟の住む団地から友達は一人ひとり去っていくところにも「かかって」いる。一言でいってしまえば悟の別れの物語といえる。

そして「何故」悟は団地の外に出ないのか? 「何故」毎日小学校の同級生たちの家をパトロールするのか? 「何故」悟は毎日体を鍛えているのか? 「何故」悟のその行為を同級生たちは優しく受け入れているのか? その原因といえる悲しい事件が中盤で明らかにされる。

仕事やリビドーや恋や失恋も団地のなかで経験する悟。同級生たちはみんな去っていく。しかし悟は団地の外に出られない。

そして「救いのない現実」が悟の前にあらわれる。それを悟は「救おう」とする。そして立ち向かう。闘う。結果的にそれは悟自身の救いでもあった。

そして、最後の「さようなら」。悟の母の想い。そして悟自身が団地と「さようなら」をする。そしてラストに挿入されるエレカシの「sweet memory」が秀逸。宮本も赤羽台団地育ちだしね(残念ながらロケ地は赤羽ではなく仙川だそうです)。

×     ×     ×

映画を観たあと、楽器店に行く。前から目をつけていたハイハット・スタンドを買おうかどうしようかと思っていたからだ。先日、渋谷で目当てのスタンドがまさに目の前で買われてしまったオレは悩んだ。そして、なんと3,000円台でハイハット・シンバルが売ってるではないか!

ワタクシは一大決心をし、そのふたつを購入することにした。しかし、そこにワナがあった。というかワタクシがバカ者だった。

ハイハット・シンバルは「3,000円」ではなくて「13,000円」だった。手書きだったためワタクシが見間違えたのだった。さすがにその値段では買えない。「勘違いしました」と言ってシンバルのほうはキャンセルした。はずかしかった。赤面大発火だった。店員さんがむしろ「(わかりずらくて)すみません」と言ってくれた。いえいえ、ワタクシのほうこそどうもすみません((( ;゚Д゚)))。

なんでオレっていつもこうなんだろう? カッコ悪るすぐるー。オチャメすぐるー。どうせオレドラム下手クソだしー。続けたってしょうがねーしー。もう死にてー。

で、結局ハイハット・スタンドだけ買った。

ってスタンドだけあってどうする! アホかオレは!

thursdaymarch012013

ジャンク・ハイハットを探す旅

映画に行こうかスタジオに個人練に行こうか悩んだ末、本日は安いハイハット・シンバルを探す放浪の旅に出る。アキバ、茶水、新宿、大久保、渋谷と東京中を彷徨する。結局、安いもので万単位だった。それが相場というものか。

自宅練習用だからジャンク品でもいいのだがそんなものはどこの店も扱っていなかった。

こうなりゃ仕方ない。前から目をつけていた中古のハイハット・スタンドを買うか。と、渋谷へ。しかし、そのスタンドが無い! 値札が外されている。ワタクシの推測では妙に派手な恰好をしている黒人のオッチャンがすでに購入した模様。一足遅かった……。

諦めて帰宅。ネットでそのハイハット・スタンドを確認するもまだ売られていた。あのオッチャンが買ったんじゃないのか? タイムラグも考慮し判断は明日に持ち越しだ。もし、まだ売られていなければ必ず買う!!

そして、はじめてのヤフオクに挑戦してみた。ジルジャンのAシリーズの中古のハイハット。新品なら18,000円はする品物だ。いろいろ考慮して3,500円までは出そう。スタンドないけど。

【追伸】
ああ~! やっぱあのスタンド売り切れてた~!! これじゃあジルジャンのシンバル落とす意味もなくなったなぁ……。

もうこれはドラム辞めろってことなのかな? いや、もう音楽自体辞めちまえってことなのかな? たしかにいつまでたっても下手クソだし、バンドできないし、曲つくる必然を感じないし……。オレ、音楽の神様にガン無視されてるのかな?

wednesdayfebruary272013

映画「レンタネコ」



荻上直子作品である。「かもめ食堂」や「めがね」の。

彼女の作風である、ゆる~くてかわいらしくてちょっと笑える映画である。

小物とかが昭和テイストで、そのへんが好きな女子がたくさんいそうである。うちの奥さんとか。

tuesdayfebruary262013


映画「SR3サイタマノラッパー/ロードサイドの逃亡者」



前二作に比べると相当シリアスな話になっている。

が、ワタクシ的にはシリーズ中一番よかった!

相変わらずラップバトルのシーンは見応えあるし、また次回作を待ち望んでいる。いや、マイティーの復活をオレは待ち望んでいるぜ!

sundayfebruary242013

映画「荒川アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE」



序盤にかけて「コレって漫画かアニメじゃないと成立しない世界観だろぅ」なんて思って観てた。だって相当ハチャメチャな世界観なんだもの。

しかし、途中からのリクとニノのラブストーリーや市ノ宮親子の葛藤の要素なんかが出てきて不覚にも涙がポロポロ出てしまったよ。

親子モノ、とくに母親と子どもの話にはめっぽう弱くなったなぁ。

sundayfebruary242013

人生をドブに捨てた男

なぜ私はこの女性と「結婚」したのだろう。まったく価値観が合わないとか、一緒にいてもプラスの方向には進まないことはわかっていたのに。

答えは、私が愚か者で人生をドブに捨てたから。

「あの人」となら一緒にいるだけで楽しかった。つまらないことを話してバカみたいに笑ったり、いろんな所へ行ったり、ただ歩くだけでも楽しかった。

あの日は戻らない。私が愚か者で人生をドブに捨てたから。なんのために生きているのだろう? 妥協・惰性にもほどがある。

thursdayfebruary212013

映画「桐島、部活やめるってよ」

どこかの批評で「学校」という舞台のなかに現実社会を投影したというより、むしろ現代社会が「学校化」した、とか言ってたな。

まあそんな高尚なことはどうでもよくて、高校二年という人生まだ16、7年しか生きていない時期に、成功する才能ある人間なんてものはほんの一握りにすぎず、大多数の人間は現実を否応なしに押し付けられ、挫折し、または受け入れなきゃならない「厳しさ」みたいなのが描かれていたようにワタクシは思いました。

この映画は群像劇なのだが、登場人物たちの葛藤や諦めなどの感情のピークが、神木君演じる映画部の監督が「(将来)たぶん映画監督は無理」とあっさりと言えてしまったところでスパークしたように思える。

そう、たぶん無理なんだよな。


wednesdayfebruary202013

ドラッカー「プロフェッショナルの条件」

ドラッカーの自己実現についての本である。きちんと読む気がせずザックリ斜め読みですました。「マネジメント」と重複する部分もあった。

まず引っかかったのは「コミュニケーション」について。これはたしか「マネジメント」にもあったと思ったが「上から下」へのコミュニケーション(命令)は成立しない。なぜなら人は自分の聞きたいことしか聞こえないから。むしろ「下から上」でコミュニケーションをとり、「あなたは組織にたいしてどんな貢献ができるか?」また「上司にどんな責任のとり方をしてほしいか?」を答えさせるほうがいいとドラッカーは言う。なるほど。

あとはどうすれば自己実現が可能か、という部分。

1)目標・ビジョンを持って行動する。

2)完全に目指す。または近づけようと努める。

3)一つのことに集中する。

4)定期的に検証と反省をする。フィードバックをする。

などなど。他にもあったが大体こんな感じ。4)の一年に一度、自分の仕事を振り返り次の一年の計画を立てる。でも大抵失敗するけどね。というドラッカーのラフなところがよかった。

ワタクシに一番足りない部分は3)の「一つのことに集中する」ことだ。ワタクシはいろんなことに手を出して結局なにひとつ出来上がってない。

なので優先順位をつけさらに期限をもうける。やはり「シナリオを完成させる」ことを最優先にするべきだろう。まずこれのみに集中するべきだろう。

よーし。三月末日までに完成させるぞー。そして完成するまで(読むのを楽しみにしていた)小説「孟嘗君」はお預けだ!

fridayfebruary152013

ある休日の過ごし方

嫁とケンカした。ケンカというよりもう「離婚」したいくらいだ。ワタクシ自身はもちろんワタクシの親や仕事まで侮辱する女を養おうとは思わない。やっぱ結婚したのが間違いだったのかな?

勢いに乗って離婚届をもらいに区役所に行ったがやっぱり恥ずかしくて結局もらえなかった。この期におよんでもワタクシはヘタレだった。

赤羽の「鐡一」でかるく呑む。呑みながら考え、スタジオに行くことにした。ブクロのノアに電話したがなんかテンパって無様なオレだった。死にたい。

ドラムのセッティングをクリストファー・マグワイアに倣ってセットしてみた。具体的にはタムを極端に手前にセットした。スネアとフロアタムの中間あたりだ。するとメッチャ移動が楽だった。なんでみんなこのセッティングにしないのか? 三点セットのときのタムがあんな左側にあるのは「ルックス」以外になんか理由があるのだろうか?

しかし16インチのフロアタムはうるさ過ぎる。14×14インチのフロアタムか14×12のタムがいいか? しかしそのサイズのタムは鳴らしたことがないからなんともいえない。

20インチのバスドラが欲しい。穴も開けずにミュートも軽めにしてオープンとクローズの違いがわかるような鳴り方にしたい。

ハイハットは15インチがいいか? クラッシュ的にもつかえるか?

などと妄想を膨らます。膨らましながら「豊田屋」で酎ハイとモツ煮とハムカツをいただく。

帰りたくもない家に帰る。嫁が寄ってくる。なんのつもりだろうか? そしてこのブログをチラ見でもしたのだろうか? 態度が豹変する。こちらはもう覚悟は決まっているのに何のつもりか?

まあいい。ドラムセットがほしい。それには防音システムを構築しなくちゃならない。それにはお金がたくさんいる。そのためにも今回の事業は成功させないとな。

tuesdayfebruary122013


ある戯言

元々いっしょになるべきじゃなかったのかもしれない。じつはそれははじめっからわかっていたことだったんだけどね。やはり破綻のときは近いのかもしれない。マイナスだけでプラスがない。家庭のなかに「明るさ」がないのは救いがない。それは家を守るものの性質に拠るから。そういうことができる人は「かしこい」人しかできない。相当賢い人でなければできないことなのだ。

mondayfebruary112013

小説「楽毅」

全四巻を読了した。率直におもしろかった!

中国史には名将と呼ばれる人物が何人もいる(呉起とか白起とか韓信とか)。しかし彼らのほとんどが無残な死に方をしてる。

そんななか、楽毅は「人生」という名の危うい綱渡りを見事にわたりきった名将といえる。それは軍略の才能だけでなく行政・外交などの才能もあったからかもしれない。むしろそれは、乱世のなかを「生きぬく」才能といってもいいかもしれない。

そして、それは「清廉さ」であり「清々しさ」であった。

楽毅は孫子の「無形と無声」の極意に達していた人でもある。なので兵書「孫子」もあわせて読んだ。もちろん孫子を理解したとはいわないが、それによりこの小説をより深くより楽しんで読むことができたと思う。

楽毅〈1〉 (新潮文庫)
楽毅〈1〉 (新潮文庫)
posted with amazlet at 13.02.10
宮城谷 昌光
新潮社
売り上げランキング: 147,140
新訂 孫子 (岩波文庫)
新訂 孫子 (岩波文庫)
posted with amazlet at 13.02.10

岩波書店
売り上げランキング: 1,610
sundayfebruary102013

あるひとつの達観

ふと気づく。

ワタクシは本来、楽器を自らの「声」のように扱うタイプではないらしい。そういう演奏者こそが「演奏者」たる所以なのだろうが。ワタクシだってそれをめざしてきた。ギターでははじめっから無理だと直感したのでドラムでそれをめざしてきた。

しかし、今日ふとくるりの「ブレーメン」や「ロックンロール」をコピーしてたら、ふと気づいた。

「自分はひとつひとつの音を構築してゆくために楽器を奏でるのが好きなんだ」と。音が重なってリズムを形成してあるカタチになってゆく。それが、好きなのだ。そのために楽器をつかっているのだ。「道具」として。

楽器を自分の声のように自在に扱おうとめざせば目指すほど楽器にコントロールされてゆく。最近そんなことをちょうどおもっていたところだった。

まあ、「プレイヤー」向きではないってことだな!

wednesdayfebruary062013

円空と中国古代文明



二月なのに小春日和である。

「小春日和」てのは本来、晩秋から初冬に使われる言葉なそうな。11月に使われるものらしい。それくらい生ぬるい気候だった。

上野の国立博物館に「円空展」を観に行った。まるで不動明王をデフォルメしたような「両面宿儺坐像」が一番よかった。岩の台座や火焔光背は不動明王から来てるのだろうが、その表現も荒く(いい意味で)雑でよかった。

リニューアルしたという東洋館にも行って来た。

どこがリニューアルしたのかちっともわからなかったが、中国古代(殷~春秋戦国)の青銅器や甲骨文字を見てきた。

青銅器はやはり戈・矛・戟といった武器に惹かれた。紀元前3,000年から1,000年という途方もなく昔にすでにこんなに洗練された武器をつかっていた中国人って! 驚愕である。しかも「弩(ど)」というボウガンもつかっていたなんてもう訳分からん。

動物の骨に刻まれた「甲骨文字」は簡単な記号のようで「神秘」であると同時に「ポップ」だった。可愛くすらあった。文字を発明するなんてどんな思考回路なのだろうか?

中国古代文明、パねぇ! まじリスペクトっす!

saturdayfebruary022013

by ピーター・F・ドラッカー

小企業は戦略を必要とする。小企業は限界的な存在にされてはならない。その危険は常にある。したがって、際立った存在となるために戦略を持たなければならない。ニッチを見つけなければならない。
ほとんどの小企業が戦略を持たない。機会中心ではなく問題中心である。問題に追われて日を送る。だからこそ小企業の多くが成功できない。

1)小企業のマネジメントに必要とされることは、「われわれの事業は何か、何であるべきか」を問い、答えることである。

2)トップマネジメントの役割を組織化することである。

【トップマネジメントの役割】

1)事業の目的を考える。すなわち、「われわれの事業は何か。何であるべきか」を考えなければならない。目標の設定、戦略計画の作成、明日のための意思決定という役割が派生する。
2)基準を設定する。すなわち組織全体の規範を定める役割がある。目的を実績との違いに取り組み、ビジョンと価値基準を設定しなければならない。
3)組織をつくりあげ、それを維持する役割がある。人材を育て、組織の精神をつくりあげなければならない。加えて、組織構造を設計しなければならない。
4)外部との連絡・交渉の役割がある。顧客、取引先、金融機関、政府機関との関係である。
5)行事や夕食会への出席など儀礼的な役割がある。大企業よりも仲小企業のトップマネジメントにとって逃れることのできない時間のかかる仕事だある。
6)危機に際して自ら出動するという役割、著しく悪化した問題に取り組むという役割がある。法的な責任もある。放棄できない仕事である。

トップマネジメントに課せられる役割は、各種の能力と性格を必要とする。「考える人」「行動する人」「人間的な人」「表に立つ人」である。この四つの能力と性格をチームとして組織化する必要がある。

saturdayjanuary192013

映画「東南角部屋二階の女」

ずっと以前に下北でこの映画の看板を見た。それが記憶に残っててたまたまレンタル屋でみつけて借りた。2008年の作品らしいのでもう4、5年も前になるのか……。

見始めてから「この映画観たことある」とわかった。たぶん深夜テレビで放送されていたのを観たんだと思う。

登場人物たちが魅力的でよかったです。この映画に出演している竹花梓という女優さんが去年(2012年)の末に36歳で亡くなっていたらしいことを知りショックをうける。透明感のある素敵な女優さんだったのに……。


saturdayjanuary192013

スローンの高さ

本日は成人式で祝日だが大雪だった。休日でよかった。

スローンを若干低くし60cmにした。で、おしりを深く腰かける座り方にしてみた。デイブ・ウィックルの座り方を参考にしてそうしてみた。

安定感はGOOD。オープン奏法も可能。もっとスローンを高くしてたときは腿の付け根がスローンにあたって痛かったがそれもない。

当分コレでやってみる。

mondayjanuary142013

映画「ヒミズ」



「ヒミズ」サイコーだった。園子温監督作品をはじめて観た。シリアスでヘビーな映画だったけど、ここ最近で一番心にキタ映画だった。「爆発力」があった。こういうの「映画」というのか。

主演の二人は将来が楽しみな役者さんだな。

原作の漫画はリアルタイムで読んでいた。しかし何故、「稻中」なんかを書いていた古谷実がこの作品でガラッと作風を変えたのだろう? 当時もかなり不思議におもったのをおぼえている。

感情のブチまけ方ハンパねぇ。画面に喰い入るように見入った。

fridayjanuary112013

休日のすごし方

映画「エヴァQ」を観にいこうか、ドラムの個人練にいこうか、迷ったまま天気がいいのでとりあえず外に出た。

まず、アキバに向かった。ぷらぷらと散策す。徒歩でお茶の水へ。ここで映画はやめにしてドラムの練習に行くことを決意する。しかし手ブラだったのでスティックを購入。吉牛で昼食をとる。

スタジオに予約するも時間がまだあるので上野まで散歩することにする。今度友人と行こうと言ってたガード下の呑み屋「大統領」はまだ2時だっていうのに満席状態だった。

宇都宮線で赤羽へ。まだ時間があるので「鐵一」でちょい呑み。酎ハイ、熱燗、ハイボールといった。

スタジオにて小一時間ほどドラム練習。己れの下手っぴさをあらためて痛感す。全然「歌えてない」。呼吸もまだまだ。やはりもっと「生」のドラムを演奏する機会をもたないとダメだな。

thursdayjanuary102013

映画「ポテチ」

伊坂幸太郎、中村義洋、斎藤和義のおなじみのタッグの作品。伏線のはり方が絶妙。この作品も例にもれず鑑賞後の爽快感がいい。

仙台の街並みがなつかしかった。また仙台に行きたいな。


tuesdayjanuary082013

欠けた人生

DVDを借りた。まず「ダークナイト・ライジング」と「モテキ」を観た。

「ダークナイト~」はまあまあだったが、「モテキ」は見入った。そして、なんか「モテキ」観てたらオレやり残したことがたくさんあるような気がしてきた。

オレはオレの人生を生きているのか?

シナリオも全然書く気力が失せてるし、曲だっていいもん作れない。クリエイティヴな能力が欠けてんだな、やっぱ。

オレは人生でやり残したことがたくさんある。それでいままで来てしまった。このまま終わってしまうのか? そんな人生なのか? つまらないな。

mondayjanuary072013

キックの練習

キックのシングル・ストロークの連打を練習した。

リバウンドを利用してスティックを高速連打する技術を「グラッドストーン奏法」と言われているそうで、そんなん知らんかった。「モーラー」やら「グラッド」やらもう訳わからん。

まあ名前なんてどうでもよくって、ヘッドのリバウンドを利用するのは前々から言われていたことだし別段新しい技術でもないだろ。ただ名前がついたってだけの話?

それを「足」にも応用しようということで、スティックをリバウンドと指で連打するように、キックもリバウンドを意識して連打してみた。

はじめはやはりうまくいかない。筋肉もつる。しかしそこそこ慣れてくるとそこそこ出来るようになってきた。

「足の技術」いい加減だなぁ~とまたまた反省しました。

sundayjanuary062013

不安と後悔

「絶対成功しそうにない」

そう思ってしまう。この業界、事業所ができては潰れできては潰れの状況である。自分らだけが成功するという保障も見込みもない。

不安である。

リスクを冒さない起業なんて存在しない。それはわかる。しかし不安である。

生活しなければならないし、失敗すれば家族を路頭に迷わすことになる。

後悔である。

しかし、今のところにはいられない。いてもしかたない。いてもつまらない。ならちょっとでもおもしろいほうへ。

倒産を体験するのも「経験」のひとつになるかもしれない。ウチの家系は代々、会社を倒産させてきているしね。

そのときはもうなりふりかまわず就活して働かなきゃな。

fridayjunuary042013

歌うドラム

椅子に座るとき、骨盤を寝かせた座り方は楽に感じるがじつは「腰への負担」は大きい。骨盤を立たせて「腰を入れた」座り方は辛いが腰への負担は小さい。それに「腰」に重心がどっしりと乗る。

そうすれば、足を「踏み込む」んじゃなく「落とす」奏法ができる。さらに、ペダルのスプリングのテンションがべろべろでもオープン奏法は可能ということを発見。

レッド・ツェッペリンの「Good Times Bad Times」の三連打や三連符の連打を練習する。そこそこできるようになる。「力んで」できてもダメで、ある程度「脱力」してできなけりゃ意味がない。

シングル・ストロークの三連打はカカトをあげて足首の回転だけで「ドドド」と踏む。これは速い8ビートでもつかえそう。

三連符系の連打「ッドドッドドッドド」(つまりはダブル・ストロークの連打)は、「スライド」と「スウィング・ステップ」の合体技みたいな形になった。しかしデイヴ・ウィックルもそうやってたし純粋な「スウィング・ステップ」てなくて多少はスライドしてんのかもな。

まあよしとする。

ここでピーター・ドラッカーの「マネジメント」にならって自分のドラムをマネジメントしてみる。

まず自分の目指しているドラマー像を定義する。複雑な4WAYができたり高速連打ができたりしたいわけじゃない。ワタクシの目指しているのはドラムで「歌う」ことだ。

それをできるようにするにはどうすればいいか? やはり「呼吸」である。これがドラムを歌わす「キモ」になる。

「筋力をつかわない打法」もドラムで「歌う」には必要な要素である。力んでいては歌えない。

「ウラ」「オフ・ビート」はタイム感やテンポ・キープやグルーヴといったものに関係する。ポンタ氏曰く「身体のなかにこの血のかよったメトロノーム的なものを持つとすべてが解放され『歌う』ことに専念することができる」のだそうだ。

どれも必要不可欠である。

すべては「歌う」ためである。

fridayjanuary042013