そうすれば、足を「踏み込む」んじゃなく「落とす」奏法ができる。さらに、ペダルのスプリングのテンションがべろべろでもオープン奏法は可能ということを発見。
レッド・ツェッペリンの「Good Times Bad Times」の三連打や三連符の連打を練習する。そこそこできるようになる。「力んで」できてもダメで、ある程度「脱力」してできなけりゃ意味がない。
シングル・ストロークの三連打はカカトをあげて足首の回転だけで「ドドド」と踏む。これは速い8ビートでもつかえそう。
三連符系の連打「ッドドッドドッドド」(つまりはダブル・ストロークの連打)は、「スライド」と「スウィング・ステップ」の合体技みたいな形になった。しかしデイヴ・ウィックルもそうやってたし純粋な「スウィング・ステップ」てなくて多少はスライドしてんのかもな。
まあよしとする。
ここでピーター・ドラッカーの「マネジメント」にならって自分のドラムをマネジメントしてみる。
まず自分の目指しているドラマー像を定義する。複雑な4WAYができたり高速連打ができたりしたいわけじゃない。ワタクシの目指しているのはドラムで「歌う」ことだ。
それをできるようにするにはどうすればいいか? やはり「呼吸」である。これがドラムを歌わす「キモ」になる。
「筋力をつかわない打法」もドラムで「歌う」には必要な要素である。力んでいては歌えない。
「ウラ」「オフ・ビート」はタイム感やテンポ・キープやグルーヴといったものに関係する。ポンタ氏曰く「身体のなかにこの血のかよったメトロノーム的なものを持つとすべてが解放され『歌う』ことに専念することができる」のだそうだ。
どれも必要不可欠である。
すべては「歌う」ためである。
fridayjanuary042013
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