映画「ブロンソン」



チャールズ・ブロンソンのことを高橋ヨシキ氏は「暴力しか言語をもたない男」と言っていた。

チャールズ・ブロンソンことマイケル・ピーターソンは現在も英国で服役中の実在の人物。「チャールズ・ブロンソン」とは、地下の格闘場でのリングネーム。

暴力でしか自己表現の術を知らない様は、子どものように無邪気ですらある。というか、そういう風に描いている。屈託のない笑顔や女性への純朴さ。すべてが子どものようだ。だから暴力描写もむしろキュート。まるで子どもが暴れまわっている様。

頻繁に挿入される「独白」と「劇場」のシーン。これは「彼の人生自体が劇場である」ということを表現しているのだろう。彼自身が語る犯罪の動機が「有名になりたかったから」だから。

しかし、こうも無邪気に暴力をふるう男を見ているとなぜこんなにも気分がいいのだろう? 理由はわかりきっている。日常世界でもっとも抑圧されるものが「セックス」と「暴力」だからだ。だから、映画のなかで自分が傷つくことも気にせず、好き放題に暴力をふるう男を見ているだけでスカッとするのだ。

舞台がアメリカではなく英国だというのもイイ。英国ってどこか伝統っぽいものが残っていて保守の匂いがするから、そのなかで無法に暴れまわるブロンソンは痛快ですらある。

彼は子どもだ。子どものままの衝動を子どものままの無邪気さで表現している。彼の「劇場」の出演者は彼一人しかいない。彼以外はみんな観客にすぎない。しかし、それは本来誰しもが持っている感情であり欲求であるはずだ。

なににも縛られないセックスと暴力は魅惑的だ。それが日々の世界で抑圧されているから。

でもまあ、こんな人間が隣にいたらメッチャ迷惑だけどね!

fridayseptember202013

0 件のコメント:

コメントを投稿