JR東海の新薬師寺のCMかっこいいッスねぇ。この十二神将のことをワタクシ個人的に「仏像界のEXILE」と呼んでます。ひとりひとりポーズをキメて円形のフォーメーションで威圧するその様はまさにEXILE! カッケー!
十二神将というのは、薬師如来の眷属でカテゴリーでいえば「天」(日本の仏尊は「如来・菩薩・明王・天」というヒエラルキー構造をもつ。チベットは仏尊の種類がちがう)。新薬師寺の伐折羅(バサラ)大将はとくに有名。
じつはわれわれが知っている仏像の大半は密教に関係する。
ここでカンタン仏教史。
インド仏教後期、ヒンドゥー教やイスラム教の台頭で仏教は教団の存続が危うくなっていた。仏教は巻き返しをはかり大幅に改革する。土着の神々などを吸収して偶像崇拝を推し進めたり、現世利益の成就を前面に出して大衆の人気を得ようとした。それは神秘主義やシンボル主義をつよくしていくことになる。結果、教義は複雑化していって大衆にはひらかれず、教団内部だけで師匠から弟子にのみ相伝されるものになってしまった。結局インドの仏教は絶滅してしまう
[1]。現在、東南アジアにも仏教は存在するが、「密教」といわれるものは日本とチベットだけにしかのこっていない。
密教によって体系的で華やかな仏尊パンテオンや曼荼羅がつくり出されたわけだが、反面、修行に性行為や死肉をもちいたり汚物をたべたりといったダークサイドも存在していた(このダークサイドは密教後期のものなので、中期の密教が伝わっている日本にはみられない)。これは仏尊と一体化するための儀式(シャーマニズム
[2])なのだが、こういう要素はヒンドゥー教やジャイナ教にもみられ「ヒンドゥー・タントリズム」とか「ジャイナ・タントリズム」とか呼ばれてるらしい。「タントリズム」とはインド土着の神秘主義的な教え(思想?)のことで、密教はタントリズムの影響をつよく受けている。当時インドにあったヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教といった宗教をタントリズムという「串」が横からグサッと刺して貫いたようなイメージ。だから本当は「密教」ではなく「仏教タントリズム」といったほうが正しいのかも。
仏教が誕生したとき釈迦は神秘的な要素を一切排除した。「苦からの解脱」という一点のみを追求してきた仏教は「空」や「唯識」といった高度な思想・哲学を発明していった。宗教というより哲学のような立ち位置からスタートした仏教の最期が、オカルトチックで淫靡な姿になったのは皮肉か?
まあそのおかげで、いまの私たちが仏像や曼荼羅をたのしむことができるってことですが……。しかしまあ、仏像を信仰の対象としてでなく美術としてたのしむようになったのは近代になってからなんだよなぁ。シミジミ。
【脚注】
- ^釈迦がヒンドゥー教の神々に取り込まれるカタチで存在はしてます。トホホ。
- ^シャーマニズムやシンボリズムは原始宗教(アニミズム)と共鳴する特徴でもあるから、先祖返りをしたとも見れなくもない。