若いころにはその言葉の響きがカッコ良くて、カフカなんぞを気取って読んでたりもした。しかし正直、そのころの自分にはカフカの小説はチンプンカンプンだった。そして「不条理」の意味をちゃんとわかっていなかった。その意味を「実感」として理解したのはここ最近のことだ。
先日、リビアのカダフィー大佐が殺された。マスコミは「死亡」なんて曖昧な表現を使っているが、あれは明らかに「処刑」だ。
「アラブの春」といわれる北アフリカの市民革命は永らく君臨していた独裁権力は打倒した。しかしその先にあるのはきっと「平和な民主国家」なんかではなく「新たな権力争い」だろう。
「ラストキング・オブ・スコットランド」という映画がある。ある男がクーデターを起こすと国民たちは彼を英雄と讃え、歓喜で迎えた。しかしその男はのちに独裁・虐殺・粛正を行い、最後には国を追われた。そのとき国民は彼がクーデターを起こしたときと同じように歓喜して祝ったという。
独裁者も愚かなら、国民も愚かだ。権力は腐敗するし、歴史は残酷だ。
カダフィー大佐もクーデターを起こしたときは英雄として国民に迎えられたのだろう。そして革命を起こした市民たちは裁判もせずカダフィーを処刑した。なんだか「ラストキング・オブ・スコットランド」とダブるのは気のせいでもないだろう。
この世界は不条理で出来ている。いまならカフカの小説がしっくりと読めるかもしれない。
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