権力が小さくなっていく

最近、よく思うのは「政府」というものがひどく小さな存在に感じるということ。

世界的にも「政府」というシステムが力を失ってきているんじゃないかと感じる。それに反比例して「個人」というものが強くなっていってるように思う。このことは「ネットワークの発達」と無関係ではないだろう。

エジプトやチュニジアやリビアでは、なんの力も持たない「個人」がSNSに集い「渦」になり長年権力を独占してきた独裁政権を倒した。

そして、個人的に、なによりも「政府」が小さく感じたのは、3.11以降のこの日本政府の対応だった。

まるでダメダメだった。

「平常時に国民不在なことをしてきた政治家や官僚たちも、こんな未曾有の大災害に直面すれば内に秘めた使命感を発動させて、彼らの有能さを国民のために、いや、せめて被災者のために発揮してくれる、きっと」心のどこかでそう信じていた……。

しかし彼らは相変わらずだった。いや、むしろより鮮明に彼らがどういう行動原理で動いているのかが浮き彫りになった。

政治家は政局の舞台で踊りつづけ、まるで「コント」を見ているようだった。

官僚は「国民のため」なんて考えは微塵もなく、自分らの「なわばり」を守ることにより必死になっていった。

経産省は事故の収束より原発政策の維持を。文科省はこどもの健康より学校運営を。財務省は復興より増税を。

官僚たちも一枚岩じゃないと知った。各省は自分の組織の都合を優先させる。そこに「国家」とか「国民」というものが見えてこない。以前はそういう気概を持っていたのかもしれないが(そう信じたい)、いまは会社全体の利益より自分の部署の都合しか考えないサラリーマンと同じだ。本能に正直で人間臭いといえばそうかもしれない。

彼らはジョージ・オーウェルの「1984」みたいな支配的な存在じゃない。もっと「こじんまり」とした小さな存在なんだ。彼らも僕らと同じようになによりも自分が大事なんだ。だから問題は根が深いとも言える。だって「自分の身を守る」本能は一番根源的な本能だから。

そもそも権力なんてものは本質的に脆いものなのかもしれない。ネットワークの発達は「個人」を強調する。良くも悪くも。それが相対的に権力を小さくしていってるのだろう。

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