既得権益というものについて考えてみた

巨大な特権を持ちながら時代にそぐわなくなった組織・集団てありますね。いわゆる「既得権益」というやつ。

たとえば、官僚とか検察とか記者クラブとか経団連とかナントカカントカ……。これら既得権益を破壊すれば公正で公平な世界が待っていると考えてる人も少なくないのでは?

きっとこれらの既得権益組織も、高度成長期あたりには時代にベストマッチしていて国が急成長するには最適なシステムだったのでしょう。が、そんな有益な組織も長い年月変わらずにいれば中身は腐っていくし外の変化についていけなくなるのは、コレ、宇宙の理(ことわり)。

しかし、そこは腐っても長年この国を支えてきたシステム。破壊したあとには「混乱」と「失望」が待っているかも。この前の政権交代のように。

自民党政治には嫌気がさしていたし、歴史の必然として自民党体制は壊さなければならなかったのでしょう。しかし結局、代わった民主党はみごとに期待を裏切ってくれて、元々高くなかった日本の政治力がさらに地盤沈下したといっても過言じゃない。もう国民の多くが政治家に期待してないし信用もしてないと……。

他の分野でも既得権益を潰せば似たようなことが起こるかもしれない。たとえば、「原発事故を起こした東電を潰して発送電分離して電力業界に自由競争の風を」といった理想も、現実になってみれば「混乱」と「失望」が待っているかもしれない。記者クラブをなくしたって日本のジャーナリズムはたいして変わらないかもしれない。

しかし「新陳代謝」がないことは「生命活動」が止まっていると同義。きっと古い細胞(既得権益)は潰していったほうがいいのでしょう。じゃなきゃ、その先には「老死」しかないのだから。

0 件のコメント:

コメントを投稿