昨日、ホリエモンこと堀江貴文氏の上告が棄却され収監が決まった。その記者会見が自由報道協会で17時から行われた。くわしくはこちら↓
●ニコニコニュース【堀江貴文被告緊急記者会見】http://news.nicovideo.jp/watch/nw56797
そして偶然か狙ったのか最高裁の会見も同時刻に行われた。そちらは録音・録画が許されていないらしく、弁護士の江川紹子氏のツイートでその一端を垣間見ることができる。試験運転的に可視化と自前のチェックを行う方向のようだ。
そこでちょっと個人的な感想。
堀江氏視点で見れば、これはいわば社会の集団リンチ。 「国民の敵」というレッテルを無理矢理貼られて人生を台無しにされる。不条理に。検察、とくに特捜部はおそろしい組織にしか見えない。専門家によれば、検察特捜部は「世間の空気」を読んで悪者を探している。そして、よく言われる「ストーリーをつくって」逮捕する。では「世間の空気」をつくるのはだれか? おもにマスコミだろう。マスコミの悪者叩きは異常だ。神経症気味ですらある。だれか「適当な」人物を標的にして叩く。しかも示し合わせたかのようにすべてのマスコミが一斉に! コレ気持ち悪い。
ここで思うのは、検察は「自分らの存在意義を証明しつづけなければいけない」という強迫観念を持っているんじゃないかということ。つまり国民の「正義の味方」でありつづけなければ、と。人によっては検察の独自捜査権の剥奪や特捜部の解体を言う人もいるところをみると、じつは検察の、とくに特捜部の立ち位置は不安定なものなのかもしれない。もし誰か巨大な権力者が裏にいて検察をコントロールしている、みたいな陰謀説ならわかりやすい。それなら検察が「悪の組織」だろうがなんだろうが存在しつづけるだろう。でも日本にはそんな裏の巨人は存在しないようだ。日本の検察は国民から「悪の組織」と思われた瞬間から存在があやうくなるほど「脆い存在」なのかもしれない、じつは。だから検察は「国民の空気」を読みつづけ「国民の敵」をさがしつづけた。「国民の敵」を倒しつづける「正義の味方」でありつづけるために。
しかし、ここ最近の「村木事件」などによって検察に対する信頼が揺らいできた。つまり「世間の空気」が検察を「正義の味方」ではなく「なんかこわい権力組織」と見るようになってきた。つまり本来、検察が倒すべき「国民の敵」に検察自らがなってしまったということだ。とんでもない自己矛盾。存在の危機。だから甘いとはいえ、国民の声に応じるように改革を行ったのではないか?
おそろしい虎だと思ったら怯える猫だった、と。
数あるこの国の既得権益のうち、じつは検察機構が一番もろいのか? いや、そうではないのか? もう少し様子を見守りたい。
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