奥さんと我が愛娘が向こうの実家に帰ったため今日から一人生活。
離れると子供とはまことに不思議な存在だ。あの、あまりにも純粋な存在感はリアリティーを欠く。「すぐそこ」に存在していないと「ほんとうにあの子はいたのか?」みたいな感覚に陥る。不確かな、あやふやな、危うい存在。あまりにも「純」すぎる存在。きっと「この世」と「あの世」の「はざ間」に存在する者にちがいない。きっと歳月を経るごとにこの浮世に「定着」していくのだろう。そして我々と変わらない存在感を持つようになるのだろう。でないと、あのこの世のものとは思えない「キュートさ」は説明がつかないよ!
折角、linuxを手にしたのだからプログラミングを楽しむか? たとえばHaskellとか? またはRubyとか?
かつてニーチェは「悲劇の誕生」で「演劇(ギリシア悲劇)はアポロ(造形美術)とディオニュソス(音楽)の融合」と言った。まさに真だ! 映画をつくるにはアポロとディオニュソスの素養が必要だ。身に染みてそれを思い知る今日この頃。果たしてワタシは「あの」シナリオを書き上げることができるのか?
フジファブリックの「茜色の夕日」を聴く。胸が引き裂かれる。もうあの日には戻れないという想い。オレはなんて愚か者なんだろという想い。あの素晴らしき日々を永遠に失ってしまったという想い。まったく人生とは残酷なものなんだな。
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