初・青森、そして棟方志功


一泊二日で青森へ。

錆びた市営バス。古びた建物。まばらな人。青森は思いも寄らないほど「寂れた」街だった。

ホテルで見たローカル・ニュースでは「市営バスへ5億円の補助金を国に申請する」と報じられていた。あのバスの錆は「海沿いの街だから」という理由だけじゃないようだ。

青森駅前にあるランドマーク的な複合施設「アウガ」も経営難であるらしく経営再建のため「地元のなんたら銀行の元頭取」みたいな人が社長に就任し経営再建に着手するというニュースもやってた。そのおじさんが「できる人」に見えなかったので、ワタクシは余計なお世話だが不安を感じた。

青森は市内よりも弘前とか津軽とかのほうが観光地として充実しているのだろうか? 「ねぶた祭り」のとき以外はこんなもんなんだろうか? 青森市、場末感パない。

さて、わざわざ青森クンダリまできたのは「棟方志功記念館」に行くためだ。ワタクシは棟方志功の「十大弟子」を見たかったのだ。この「十大弟子」は元々鎌倉の美術館にあったのだがその美術館がなくなってしまい、「十大弟子」は棟方の出身地にあるこの記念館に移されたようだ。ワタクシが気づいたときには鎌倉の美術館は「休館」としていた。それがいつのまにやら閉館されていたのだ。

ワタクシはいつしか必ず「十大弟子」を見てやろう、と心に誓いこの日を向かえたわけであった。

しかし、初日に記念館に行く予定だったのだが「乗るバスを間違える」という痛恨のミスにより閉館時間に間に合わず断念。一日目は土産購入にあてることにした。

夜はゲーリーになる。昼にたべた寿司があたったか? 食中毒の恐怖に怯えながら就寝。起床してもゲーリーはつづいていた。しかたなくチェック・アウト後、薬局でゲーリー止め薬を買って飲んだ。

その前にホテルで朝食をたべたのだが、そこでやっと郷土料理をいただいた。せんべい汁とか。

二日目はバスも間違えることなく棟方志功記念館へ。待望の「十大弟子」を拝むことができた。画集などに載っているものとハンコの位置がちがう。ま、版画(棟方的には「板画」)だからいくつかバージョン違いがあるのだろう。

記念館の「十大弟子」はハンコの位置が「一人目は上、二人目は下」というふうに交互に押されていた。

また、俯瞰で見ると白と黒のコントラストになっている。衣類や靴が白っぽい者と黒っぽい者が交互に立っている。そして十大弟子の左右に普賢と文殊がいる。

一人一人の表情もおもしろい。あと「手」の表情が良い。

他にもベートーベンの第9をモチーフにした「歓喜頌」や弓矢を持たない狩人らの「華狩頌」やねぶた祭りを描いた長大な絵巻などがあった。

棟方の板画に描かれる人や動物ってカワイイな。

これで人生の目標をひとつクリアしたぜ!

fridayjune282013

エヴァQ

エヴァQを観た。

イミフすぐる。冒頭の戦闘シーンからなにやってるかさっぱりわからん。「ヴンダー」とか「主機」とかまったく説明してくれない。

「それがエヴァなのさ……」

と言われたらそれまでだが。

「Q」は「旧」と同じテイストを感じた。説明不足で、それが意味深な印象を与え、グロくて、後味悪い。もし、「新」の後半をそちらのほうに舵を切るなら「新」をつくる意味があったのかな? とおもってしまう。

そうではなく、ファイナルに向けての布石で「ここで一回落とす」という展開ならまだいいのだが。

もうひとつ気になったところは、エヴァ自体の扱いが「気軽」になってるところ。「旧」のときのエヴァは「じつはコレが何者かよくわかってないし、下手するとコントロール不能になって大変なことになっちゃう」という「危うさ(ある意味で「原発」感のような)」があったのに「新」ではそれが感じられない。「新」ではフツーのロボットになってる。

そしてなによりも一番心に残ったのは、マリが前傾姿勢になったときのオパイのタレ具合なのであった……。


thursdayjune202013

新宿御苑にピックニック!

日曜日に新宿御苑にピックニックに行った。

快晴だった。われら家族三人と奥さんの友達で行った。新宿のデパ地下で食べ物を買い、御苑近くのコンビニでビールを購入し、いざ御苑へ。

快晴の日曜日ということもあって家族連れが多かった。

レジャーシートを敷いて昼ご飯。500ml2本でほろ酔い。

娘を芝生で遊ばせる。ワタクシがシャボン玉を吹いてたら他のお子たちもあつまってきて囲まれた。ちょっとした人気者になったw。それを見た娘も大はしゃぎだった。

娘を裸足にして芝生のうえを歩かせた。はじめは恐る恐るな足取りだったがすぐに慣れて走り回っていた。裸足は気持ちいいね。

たしかったがちょい疲れた……。

thursdayjune132013

おおかみこどもの雨と雪


この映画の公開時、巷では評価が賛否にまっぷたつに分かれたらしい。が、そんなこと個人的にはどうでもいい。

この映画は、すばらしい。

親って子どものためになら自分を犠牲にしてでもなんでもやろうとする。それくらい「子どもへの気持ち」って強いものだと思う。

おおかみこどもの姉弟を抱え夫に先立たれたシングル・マザー、花。世間の目からおおかみこどもを守るには都会の生活はきびしかった(露骨には描写されていないが)花の精神も病んでいく)。

そして花が選択した道は人の目のない田舎に引っ越すこと。親子三人は自然あふれる田舎に越して子どもたちはのびのびとするが、すぐにその生活は破綻する。

地元の人々の助けを借りて花たち三人はなんとか生きていく。

そして、子どもの成長と旅立ち。「親」というものの切なさに泣いた。一生懸命育てても子どもは巣立っていく。言い換えれば、巣立たせるために育てている。

花は完璧で理想的な親として描かれていない。無知で生活力もないし、目を離してたとはいえ雪が乾燥剤を飲んでしまう事故を起こしたり雨が死にかけたりするし、子どもの希望よりも自分の感情を優先させて子どもの夢をはばもうとするし、「あの子を守らなきゃ」とか言って自分が死にかけるし、もうサイテー。

でも、親なんてそんなものだ。そして、子どもは必然的に親から巣立っていく。そりゃもう唐突に。悲しいってもんじゃない。でもそれが親子ってもんなんだろうな。

雪が生まれたシーンで彼(おおかみおとこ)と花が子どもの将来に想いを馳せたり、子どもの幸せを願ったりする。自分らも娘が生まれたとき同じことしてたなぁ~と思い出した。

ま、自分が親になったからこの映画がこんなに沁みるんだろうな。

「おおかみこどもということがバレてピンチに陥る」というありがちな展開になってもおかしくないところを、そっちの方には行かず「親子」というテーマから1ミリもズレずにラストまで行ったのが個人的には良かった。

saturdayjune082013

最下層の仕事

この仕事をしていると心が腐る。日々、心が腐る。我々を守ってくれるものはひとつもない。暴力やセクハラをされても耐え忍ばねばならない。我々に基本的人権なんてものはない。頭のオカシイ連中の基本的人権は守られても我々の基本的人権は保証されない。聖人君子にでもなれというのか? そんな人間は存在しない。しかしそれを要求される。それは我々に人間であることをやめろと言っていることと同じだ。事実、人間であることを捨てないとこの仕事はつづけられないのかもしれない。しかしその期待には応えられる人は皆無である。我々も感情と自尊心をもった人間であるらしい。深く傷つく。疲弊する。

この仕事は糞だ。一刻も早く脱出しないと私は人間でなくなる気がする。

sundayjune022013