司馬遼太郎の「項羽と劉邦」読みやすい。さすが司馬先生。
ワタシは若い頃、映画の勉強がしたくてその関連の学校に進学したかったのだけれど、できなかった。それがいまでもグチグチと悔いに残っている。「なら自分で学べよ!」と思う今日この頃。本当に学びたいなら独学でだって学べるはず。
なんでいままでそうしなかったのだろう? 「後悔」がそれを遠ざけていたのかも。といいつつすでに去年、シナリオについての本を買って読んだっけ。絵本や児童文学なんかを真似事で書いたっけ。テヘ。
ここからちょっとシナリオ談義。
シナリオの「ト書」は「映像を活字で説明する」だけのもの。文学的表現や美文は不要。むしろ味気ないほどの「説明文」のほうが良いとされている。なにせただの「設計図」なのだから。シナリオ・脚本のこのひどく偏ったイビツな表現方法は個人的にはカッコイイと思う。
さらにシナリオは、小説の地の文のような心理描写や背景説明を映像とストーリーで表現しなければならない。この「制約」もいい(セリフをつかって説明するのは野暮。But 舞台劇ではセリフで説明する。ここらへんは「舞台劇」と「映像劇」の相違)。
映画は小説や漫画のように延々と物語を続けていくことはできない。せいぜい二時間。この「時間的制約」もいい。
とかく映像劇という表現には制約が多い。制約が多いからこそ魅力的だ。
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