サイバーパンク考

このあいだテレ東の昼の映画で「ブレードランナー(1982)」がやっていた。この映画はその斬新な近未来描写によって「サイバーパンク」というジャンルを決定付けた映画だ。

僕は「サイバーパンク」が好きだ。なのに、サイバーパンクの金字塔である「ブレードランナー」はあまり好きでもない。それに「ニューロマンサー(1984)」などのサイバーパンク小説の定番も読んだこともない。きっと、僕は「サイバーパンク」という言葉の響きが好きで、サイバーパンク的なビジュアルが好きなんだと思う。

それに元々がパンクロック好きってのもあるかもしれない。十代の多感なころにパンクロックに染まり、語感が似てる「サイバーパンク」にも興味もったのかもしれない。サイバーパンク・ムーブメントは80年代に起こった。「AKIRA」が映画化されたのが88年(「AKIRA」は絵柄がサイバーパンクだけど内容は超能力アクション)。「攻殻機動隊」がヤンマガで連載スタートしたのが89年。僕がパンクロックにガツンとやられてたころとシンクロする。というわけで内容や思想よりもイメージとビジュアルでサイバーパンク好きになったのだろう。

で、最近になって押井守の「イノセンス」を観た。これは「攻殻機動隊」のスピンオフみたいなものだが、原作者の士郎正宗の描く近未来像がサイバーパンクとは違うような印象を受けた。

そもそもサイバーパンクの世界とは、科学技術が高度に発達し、世界を覆うネットワークが肥大化している世界だと思う。いまのインターネットの世界がもっと過剰になって現実世界に投影されたような世界。その世界は、カオスであり、「持つ者」と「持たざる者」の格差がほとんどない世界であるはずだと、僕は夢想する。

インターネットの方向性は「無償化」と「平等化」だと僕は考える。サービスやデータは無料(フリー)が当然となり、誰もがあらゆる情報を共有し、特定の情報を囲って他者より有利に立つなんてことは難しくなる。誰もが「知識」と「力」を持つようになる。「個人」が強くなる。必然的に「組織」や「集団」は弱くなり小さくなっていく。企業も政府も。権力は分断され分散する。みんなが小さな権力を手にする。戦争はなくなるが、テロがその代用品になる。産業革命以後の資本主義の終着駅。経済は世界規模で慢性的不況。石油はとっくに枯渇し、エネルギーはほぼ100%原子力にたよっている。

僕の考えるネットワークが肥大化したサイバーパンク世界とはそういうイメージだ。同じ退廃的な近未来像でも「1984」的な全体主義社会とは真逆の世界。個人主義の極致みたいな未来だ。

それを思うと「アップルシード」も「攻殻〜」も企業や政府機関が権力を持ちすぎている世界だ。そこが僕には違和感を感じずにいられない。

と、「ニューロマンサー」も読んだことない奴が言ってみた。ペコリ

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